少し前の新聞に、「節約はダイエットと似ている」という内容の記事が掲載されていました。
それによると、長引く景気低迷で、どの家庭も何かしらの節約はしているだろうけれども、節約にはリバウンドというダイエットと同様の反動があるのだそうで、無理な節約を続けると「自分へのご褒美」などと言い訳して結局は無駄遣いするのが悪しき典型なんだそうです。
取材に応えた人物は『やってはいけない節約』という本を出版したフィナンシャルプランナー(?)の男性で、危ない節約として代表される4つパターンが表にして記載されていました。
要約して書くと、
(1)スーパーなどの買い物先のすべてのポイントカードをためる
(2)徹底的にクレジットカードのポイントをためる
(3)家族に節約を強要する
(4)雑誌等の節約術をうのみにして実践する
これらの節約で危ない理由は、
(1)ポイントはオマケと考えるべきで、もっと安い店で買うほうがお得
(2)カードはお金を使っている実感が稀薄で、しかるにポイント目的にカードを使うのは危険
(3)無理強いされた節約はストレスを生み、やがてリバウンドという大きな出費を招く
(4)節約に力を入れすぎて、仕事など本来大切な事がおそろかになったりと、本末転倒の事態が起こる
という事だそうです。
これに対して、当たり前のこととして粛々と行える「習慣化された節約」が最も効果があるのだそうですが、マロニエ君に言わせれば、これも個人差によるところが大きいような気がします。
節約などと口では簡単に言ってみても、行き着くところは個人の感性とか価値観、ひいては人生観が問題となってくるのであって、その意義の軽重には個人差があり、極端に云うとそういうことが好きで自然に身に付いている人と、そうでない人がいると思われます。
マロニエ君などはお金もないのに節約が苦手で困りますが、ときどき人格の中にまで節約精神が深く根をおろしているような人を見ると、とても驚くことがあるものです。
こういう人は、必要な節約というよりは、そもそも支出をする事自体が苦痛のようで、だから節約は半ば喜びでさえあり、ごく自然に楽に実践できるのに対して、不本意にやっている人は苦痛を伴うのですから、似たようなことをするにもストレスの量で大差がつくわけで、これもひとえに個人差だと思います。
そして、苦痛の人はリバウンドの恐怖が待ち受けているということでしょう。
思い出しましたが、かのJ.S.バッハは大変な吝嗇家(つまりケチ)で、収入には充分恵まれていたにもかかわらず、何事も節約で通したのだそうです。五線紙の使い方にもそれはあらわれているそうで、手書き稿を研究家が見ると、他の作曲家とは比較にならないほど音符もビチビチに詰めて書いているし、曲のおわりに余白ができると、そこへまったく別の曲の冒頭を書き込んだりしたのだそうです。
音楽の世界ではほとんど神にも等しいようなバッハですが、それが実際に生身の人間として存在し、勤勉で、節約家で、収入の額などに強い拘りがあり、子供が20人もいたなんて聞くと、なんとなくイメージがまとまらないものですね。
バッハとは対極に位置する浪費家タイプの大天才がモーツァルトだそうです。