少し前のことですが、書き忘れていたので。
知り合いのテスト企画ということで、音楽家の誕生月をテーマとしたささやかなイベントを行いました。
4月なのでプロコフィエフ、ラフマニノフ、カラヤン、レハールなどさまざまな音楽家が該当し、この人たちのCDを聴きながら適当に話を進めるという趣向です。
どうあらねばならないという決まりはないので、話は次から次に発展し、枝分かれし、混迷し、脱線していくところに最大の面白さがありました。会話の魅力は、話題の際限ない展開にあると思いました。
一つのテーマを出発した話は様々な曲折を経ながら悠々と変化して、話の扉は次の扉へと連なり、歌舞伎の早変りのようにめくるめく姿を変えていきます。それを幾度も繰り返した揚句に、ところどころで本来のテーマに立ち返ります。
これはまるで音楽の形式そのもののようで、主題があり、引き継がれた第二主題と絡みながら展開部あり、転調あり、あるいはソロあり掛け合いありアンサンブルあり、それらを即興性が支配するという、あらゆる要素が音楽のそれに重なるようでした。テーマを変えれば楽章が変わるようで、終わってみればこの一日全体が多きなひとつの音楽のような気がしました。
自然な会話のやり取りがあたかも音楽の法則の原点のようでもあったと思われ、同時に音楽それ自体が人の生理にかなっていることを証明するようで、お互いを両面から確認できたようでした。
この日のメンバーはまことに奇妙な顔触れによる雑談のカルテットでしたが、なかなか音楽の話をこれだけ自然におもしろおかしくやってのける場というものは経験的にないような気がします。
あまりに初心者に合わせたものは人為的迎合的すぎてつまらないし、逆に過度に専門的になるとこれまた学究的な臭みがあって遊びと呼ぶにはふさわしくない。
マロニエ君にとっては風刺漫画のように適度に崩されたそのバランスは最適なものでした。
ここで痛感したことは、いかに雑談とはいえ、参加者が一つのテーマを意識したうえで交わす自由な会話というものが、ある意味ではもっとも充実した内容になるという意外な発見だったように思いました。
すなわち雑談にもテーマは不可欠だということ。