先日書いた、ピアニスト兼文筆家のスーザン・トムズの『静けさの中から〜ピアニストの四季』には、とりどりの面白い文章が満載ですが、その中で、驚いたことのひとつ。
スーザン・トムズはイギリスを代表するピアニストの一人であるばかりか、幅広い知識を持ち合わせたインテリでもあるようで、その深い教養とピアニストとしてのキャリア、そのトータルな文化人としての存在感にも英国の人々は大いに注目しているところのようです。
さらに夫君は音楽学者の由。
そんな、なにもかもを兼ね備えたようなスーザン女史ですが、こと自分のピアノの管理に関する著述では、ちょっと信じられないようなことが本の中で語られていました。
それによると、部屋の環境のせいで、鍵盤の象牙があちこち反り返っているらしく、ひどいものは剥がれしまうという信じられないような現象が起こり、ときにそれ(象牙)が大きな音を立てて部屋の中をすっ飛んでいくのだそうで、ピアノの横にはそれらを拾い集めるお皿まであるとのこと。
スタインウェイ社に連絡をしても、もはや象牙パーツはないとのことで、古いピアノから調達してくるか、ダメな場合には最終的にプラスチックに甘んじるかということ。
ところが、スーザン女史がフランスで19世紀のプレイエルを使ったコンサートをすることになり、その際にずっと付き添ってくれた、古いピアノの修復などに詳しい技術者にこの事を相談したそうです。すると、その技術者曰く、象牙は温湿度の影響は受けにくいもので、原因は象牙ではなく、その下に隠れている木材が伸縮している!ということを知らされるのでした。
スーザン女史は、自分が大きな思い違いをしていたことに気付くのですが、そのピアノはというと、暖炉の側に置いてあるらしいことが書かれています。
なにぶん現場を見たわけではないので、断定的なことはなにも言えませんが、彼女ほど、良心的な演奏活動をこなし、文化人としての深い教養を持ち、コンクールの審査員の中でもひときわ静かな威厳をただよわせて、周囲からも一目おかれているという彼女をもってして、ことピアノの管理となるとこんなものかというのが驚きだったのです。
何枚もの象牙が我慢の限界に達して、音を立てて、空中を飛んで、剥がれ落ちてしまうほどまで、下の鍵盤の木材が盛大に伸縮をしている環境というのは、ピアノにとって、どう考えても尋常ではない状況だと思われます。
この話は、数ある器楽奏者の中でも、ピアニストほど自分の奏する楽器に対して無頓着、もしくは間接的な関心しか寄せていない、あるいは技術者任せの専門領域のような意識でいる人が、なんと潜在的に多いか!という証左のように思いました。
もちろんそうでない人もわずかにはいらっしゃるでしょうし、中にはピアノオタク的なピアニストもいるにはいますが、それはあくまでも「珍しい」ほうで、圧倒的にピアノに対して愛情不足という人が多いというのがマロニエ君の認識です。
しかも驚くべきは、このスーザン女史が、ピアノをただの道具のようにぞんざいに使うようなタイプの人物ではなく、路傍の花にも必ず温かな手を差し伸べるような深い愛情の持ち主ということがこの本を通読してわかるぶん、この章に書かれていることは、より衝撃的な驚きを伴って迫ってくるのでした。