練習用には

我が家のピアノのハンマーヘッドに1gほどのウェイトを追加したことで、タッチ/音色ともに激変して驚いたことはマロニエ君の部屋に書いた通りですが、いらいひと月以上が経過しましたが、予想に反して今でもそのままの状態を続行しています。

音も太くなって気分がいいし、腰砕けな指をわずかなりとも鍛える良いチャンスだとも思っているわけで、ある一面においては、このように楽ではないタッチのピアノで練習するというのも一片の意味はあるように思うこの頃です。

弾きやすいことだけを主眼に置いたピアノでは、練習の中のひとつの要素である肉体的鍛錬という点でいうと、身体は必要以上のことはしないので、目の前にあるピアノが弾きやすい分だけ、指は逞しさを失っていくという事実はあると思うようになりました。
もちろんマロニエ君のようなアマチュアのピアノ好きにとっては、指の逞しさがあろうがなかろうが、大勢に影響はないわけですが、それでも、まがりなりにも弾くという行為に及ぶ上においては、少しでも余裕を持って弾くことが出来るなら、やっぱりそれに越したことはないわけです。

このひと月半というもの、以前よりもずっと重い鍵盤に耐えながら弾いていると、やはりそれだけ指に力が付くらしく、別のピアノを弾いてみたときに、遙かに楽に、余裕を持って弾けるということがわかり、まあこれは至極当然のことではあるでしょうが、やはり身体というものは甘やかさず適度に鍛えなくてはいけないということを痛感した次第です。

もちろんピアノの練習とは指運動だけではなく、フレーズの繊細な歌い方や、デュナーミクにおけるタッチコントロールの多彩さなど、あらゆる要素が複雑に絡み合っているわけですから、一元的な要素だけでものを云うわけにはいかないことはわかっているつもりです。
一例を云うと、長年、鈍感なピアノで練習してきた人は、やはり耳も感性も鈍感なのであって、ドタ靴で走り回るような演奏を疑いもせず繰り広げてしまうことは珍しくありません。自分の出している音を常に聴いて、そこに注意を払う習慣を養うためには、タッチに敏感なデリケートな楽器に慣れ親しんできた人のほうが強味です。
しかし、その点ばかりを音楽原理主義のようにいっていると、やはり指のたくましさは必要最小限に留まり、どうしても筋力に余裕がなくなるのは否めないと、今あらためて思います。

とりわけピアニストは、普段の練習用のピアノがあまりに楽々と弾けてしまう楽器だとすれば、どうしても身体はそのフィールを中心としてしか反応しなくなり、さまざまなピアノにまごつくことなく対応する能力が落ちてしまって、そのぶん本番は辛いものになるでしょう。

ピアノは自分の楽器を持ち歩けないぶん、いろいろな楽器を弾きこなせるだけの、ある意味で図太さみたいなものが必要で、その図太さ、言い換えるなら楽器が変わったときに慌てないだけの余力を養うためにも、練習用のピアノはちょっと弾きにくいぐらいがちょうど良いのかもしれません。

今回のことでわかったことは、軽いキーのピアノから重いほうへと変わるのはかなりの苦痛と忍耐と時間が必要ですが、その逆はまったく楽で、むしろ面白いぐらいにコントローラブルになるというものでした。
ピアノも他の楽器のように、目的に応じて何台も持ち揃えることができればいいのですが、サイズの点だけからも、なかなか難しく悩ましいところのようです。

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