調整の賜物

「ニューヨークスタインウェイの音にはドラマがある」ということで思い出しましたが、マロニエ君が塩ビ管スピーカーの音を聴きに行った知人のお宅には、実はニューヨークスタインウェイがあるのです。

この日は、あくまでスピーカーの音を聴かせてもらうことが目的でしたから、前半はそちらに時間を費やしましたが、それがひと心地つくと、やはりピアノも少しということになるのは無理からぬことです。

今回驚いたのは、その著しいピアノの成長ぶりでした。
このピアノは比較的新しい楽器で、以前は、強いて言うならまだ本調子ではない固さと重さみたいなものあり、タッチやペダルのフィールもまだまだ調整の余地があるなという状態でした。
といっても、納入時には調律や調整などをひととおりやっているわけで、それでピアノとして特に何か問題や不都合があるというわけではなく、普通なら取り立てて問題にもならずに楽しいピアノライフが始まるところでしょう。

しかし、オーナー氏は早くもそこに一定の不満要因を見出しており、その言い分はマロニエ君としてもまったく同意できるものでした。
マロニエ君として伝えたアドバイス(といえばおこがましいですが)は、これを解決するには再三にわたって粘り強く調整を依頼して、それでもダメな場合には技術者を変えるぐらいの覚悟をもってあたるということでした。
そもそもピアノの整調(タッチなどアクションや鍵盤の精密な調整)は、家庭のピアノでは慣習として調律の際についでのようにおこなわれることがせいぜいで、それはあくまでもサービス的なものなのでしかなく、当然ながらあまり入念なことはやらないのが普通です。

しかし、ピアノを本当に好ましい、弾いていて幸福を感じるような真の心地よさを実現するための、最良の状態にもっていくには、整調は絶対に疎かにしてはならないことですし、作業のほうもこの分野を本腰を入れてやるとなると、調律どころではない時間と手間がかかります。

そのために、整調を調律時のサービスレベルではなく、それをメインとして作業をして欲しいということを伝えたようで、そのために調律師さんは数回にわたってやって来たそうです。
数回というのは、一回での時間的な限界もあるでしょうし、その後またしばらく弾いてみて感じることや見えてくることもあるからで、どうしても望ましい状態に到るには、とても一日で終わりということにはならないだろうと思います。

そんな経過を経た結果の賜物というべきか、ピアノは見違えるような素晴らしい状態に変身していました。

まずタッチが格段に良くなり、なめらかでしっとり感さえ出ていましたし、以前はちょっと使いづらいところのあったペダルも適正な動きに細かく調整されたらしく、まったく違和感のない動きになっています。
そして、なにより驚いたのは、その深い豊かな音色と響きの素晴らしさでした。
ハンブルクスタインウェイの明快でブリリアントなトーンとはかなり異なるもので、どこにも鋭い音が鳴っているわけではないのに、ピアノ全体が底から鳴っていて、良い意味での昔のピアノのような深みがありました。

このピアノは決してサイズが大きいわけではないのですが、その鳴りのパワーは信じられないほどのものがあり、あらためてすごいもんだと感銘を受けると同時に、このピアノの深いところにある何かが演奏に反映されていくところに触れるにつけ、過日書いた別の技術者の方の「ドラマがある」という言葉の意味が、我が身に迫ってくるような気がしました。

やはり誠実な技術者の手が丹念に入ったピアノは理屈抜きにいいものですし、すぐれた楽器には何物かが棲みついているようです。

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