現代の人間関係は、ひとむかしの前のそれとはまったく様子が異なるようです。
これは時代のめまぐるしい変化によるもので、わけてもネットをはじめとするいろいろなツールの出現は、社会に深く根を張り、私達の実生活はむろんのこと精神的にも大きな影響を与えたことは間違いないようです。それに伴い、人とのお付き合いの在り方も、気がつくとかなりの変化が起こっているように思います。
さまざまなツールの登場は、便利さや多様化する選択肢などという点において劇的な変化をもたらしましたし、じっさい以前なら思ってもみなかったような新たな可能性が生み出されたことも、なるほど事実でしょう。
しかし、本当に人はそのぶん、その通りに、豊かに、幸福になっているかといえば、マロニエ君はとてもそうは思えません。
携帯やネットには目には見えない弊害も多く、結果だけを見るなら、世の中の多くの人が、結局は深刻な出口のない閉塞感と孤独に追い込まれたように思います。
友人知人の関係というものにも今昔の違いがあり、かつては無邪気に気の合う者同士が結びつき、ごく自然で率直な付き合いをしていたものですが、今は、携帯やパソコンのアドレス帳には人の名が溢れていても、いざ本当の友人ということになると甚だ怪しいものです。
そして、現代の人間関係とは、何をもって互いを結びつけているかといえば、多くは「利害」であることも少なくありません。この場合の利害というのは、もちろん金銭やビジネスのことではなくて、主にプライベートな時間を過ごす上での意味合いです。
予定帳の空白欄を埋めたい、無為な休日を楽しく過ごしたいといったたぐいの者同士が、ネットを介してふと結びつき、傍目にはあまり相性がいいとも思えないような組み合わせが誕生。互いに相手を利用して寂寥を埋め合うという点で利害が一致、まさに相互メリットによって交際が成立してしまうこともあるようです。
そもそも人間は本質論的に孤独といえばそうなのですが、それが観念の上ではなく、実際的孤独へとしだいに変質しているといえないでしょうか。多くの人は孤独に陥っても、それを声にすることもできず、ひたすら耐え忍ぶしかありません。そこへ、たまたまなにかのチャンスがめぐってきて、似たような境遇の人同士が出会うと、堰を切ったように空虚な交流が続けられることがあります。
しかもより多くの期待をかけたほうがパワーバランスで不利になり、このような関係はなかなか上手くいきません。
マロニエ君もそういう例をここ数年で何度か目撃したことがありますが、そこに漂うどこか必死な感じは、なんともいたたまれないものがありました。もともと何の繋がりも実績もない即席の関係は、いつどこで終わりになるかもしれないという危うさを常に孕んでいて、そこは当人達も空気としてどこかで悟っているのかもしれません。
もしそれで本当の友人になれたらめでたい事ですが、それはいわばくじに当たるぐらい難しく、大抵終わりは突然サラリとやってくるようです。
こういうことになる原因のひとつは、ネットなどでまったくバックボーンのわからない者同士が、安直に出逢うことのリスクであり代償だと思います。その点、時間や手間暇はかかりますが、人との出会いは従来のスタイルのほうがよほど確かだと思いますが、それもある程度の世代から以降はほとんど消滅しているのかもしれませんね。