感動のアヴデーエワ

一昨年のショパンコンクールの映像やCDを見聞きしてもピンとくるものがなく、さらには優勝後すぐに来日してN響と共演したショパンの1番のコンチェルトを聴いたときには、ますますどこがいいのか理解に苦しんだユリアンナ・アヴデーエワですが、彼女に対する評価が見事にひっくり返りました。

BSで放送された昨年11月の東京オペラシティ・コンサートホールでのリサイタルときたら、そんなマイナスの要因が一夜にして吹っ飛んでしまうほどの圧倒的なものでした。

曲目はラヴェルのソナチネ、プロコフィエフのソナタ第2番、リスト編曲のタンホイザー序曲、チャイコフスキーの瞑想曲。当日はこのほかにもショパンのバルカローレやソナタ第2番を弾いたようですが、テレビで放映されたのはすべてショパン以外の作品で、そこがまたよかったと思われます。

どれもが甲乙つけがたいお見事という他はない演奏で、久々に感銘と驚愕を行ったり来たりしました。やはりロシアは健在というべきか、最近では珍しいほどの大器です。

あたかも太い背骨が貫いているような圧倒的なテクニックが土台にあり、そこに知的で落ち着きのある作品の見通しの良さが広がります。
さらには天性のものとも思える(ラテン的でも野性的でもない)確かなビート感があって、どんな場合にも曲調やテンポが乱れることがまったくない。政治家の口癖ではないけれども、彼女のピアノこそ「ブレない」。

どの曲が特によかったと言おうにも、それがどうしても言えないほど、どの作品も第一級のすぐれた演奏で、まさに彼女は次世代を担うピアニストの中心的な存在になると確信しました。
こういう演奏を聴くと、ショパンコンクールでのパッとしない感じは何だったのだろう…と思いつつ、それでも審査員のお歴々が彼女を優勝者として選び出した判断はまったく正しいものだったと今は断然思えるし、やはり現場に於いてはそれを見極めることができたのだろうと思います。

アヴデーエワに較べたら、彼女以外のファイナリストなんて、ピアニストとしての潜在力としてみたらまったく格が違うと言わざるを得ません。その後別の大コンクールで優勝した青年なども、まったく近づくことさえできないようなクラスの違いをまざまざと感じさせ、成熟した大人の演奏を自分のペースで披露しているのだと思います。

彼女の演奏は、ピアノというよりも、もっと大きな枠組みでの音楽然としたものに溢れていて、器楽奏者というよりも、どことなく演奏を設計監督する指揮者のような印象さえありました。
良い意味での男性的とも云える構成力の素晴らしさがあり、同時に女性ならではのやさしみもあり、あの黒のパンツスーツ姿がようやく納得のいく出で立ちとして了解できるような気になりました。

さらには、いかなる場合にもやわらかさを失わない強靱な深いタッチは呆れるばかりで、どんなにフォルテッシモになっても音が割れることもないし、弱音のコントロールも思うがまま。しかも基本的には、きわめて充実して楽器を鳴らしていて、聴く者を圧倒する力量が漲っていました。芯のない音しか出せないのを、叩きつけない音楽重視の演奏のようなフリをしているあまたのピアニストとはまったく違う、本物の、心と腹の両方に迫ってくる大型ピアニストでありました。

それにしても、他のピアニストは大コンクールに入賞すると、ぞくぞくとメジャーレーベルと契約して新譜が発売されるのに、アヴデーエワはショパンコンクールのライブと、東日本大震災チャリティーのために急遽作られたライブCD以外には、未だこれといった録音がなく、そのあたりからして他の商業主義と手を結びたがるイージーなピアニストとは一線を画していて、あくまでも独自の道を歩んでいるようです。

ああ、実演を聴いてみたい…。

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