ピントのずれ

ひと頃は、公共の場で小さな子供が奇声を発したり、あたり構わず走り回るなど好き勝手に騒いで、周囲の顰蹙を買おうとも、我関せずまったく叱るということをしない若いお母さんの姿などを見ることがしばしばでしたが、このところほんのわずかな変化が起こっているような気がするときがあります。

その変化とは、つまり親が子に躾をしている場面を目にするようになったということで、そのこと自体は大いに結構、喜ばしいことなのですが、ただちょっとそこに違和感を感じることがあります。

例えば、ふつうのお店で買い物をして、支払いが終わり、品物を受け取ってその場を離れる際に、ほら、ほら、と子供の背中を軽くつっついて店員に向かって「…ありがとうございました」と云わせるような光景をマロニエ君は何度か目にしています。

また、ある病院でのことですが、診察が済んで、受付で保険証や処方箋などを受け取ってその場を立ち去るとき、子供の手を握っていた若いお母さんは、しきりに子供になにかをさせようと小声でぶつぶつ言っています。握っている手もそのつど何度もぐいぐい引っぱられて、その子はどうも嫌だったようですが、お母さんの度重なる指令に抗しきれずに、ほとんど出かけたドアの向こうからひときわ大きな声で、「ありがとうございました!!」と叫ぶように言って帰っていきました。

お店で買い物をした際は、そもそもマロニエ君の目には、最近はお客さんのほうがしきりに店員に対して「すみません」とか「ありがとうございます」という言葉を乱発して、双方の立場が逆転しているのでは?というような奇妙な状況をよく目にします。
礼儀はとても大切なことですし、それが最近ではだいぶ失われていると嘆く気持ちがある反面、こういうどこかちぐはぐなやりとりをしばしばに目にするのは、どうにも心が気持ちのよい場所に落ちていきません。

店で買い物をしたら、御礼を言うのは基本的に店のほうであって、お客さんのほうは自然に「どうも」程度のことで済ませればいいわけで、丁寧も度が過ぎると却って卑屈にしか見えません。

でも、この手の人達は、それが礼儀にあふれた大人の正しい振るまいだと信じ込んでいるのでしょうし、小さな子供の親などは、それを我が子にまで教え込もうとしているのかもしれません。
病院も、これは経営サイドから言わせれば、患者はまぎれもないお客さんでもあるわけですが、そこは長年続いてきた慣習もあり、診察を受けた際、医師にお礼を言うところまではわかりますが、受付の事務仕事をしている女性に向かって、帰る際に親が自分だけでは飽きたらず、小さな我が子にまで「ありがとうございました」と盛大に言わせるというのは、どこか躾のピントが外れている気がします。

誰しも低姿勢に出られて、御礼を言われて怒る人はいませんけれども、礼儀や挨拶というものは、なんでも丁寧なら良いというものではなく、それをどれだけ適切的確に正しく用いる(使い分ける)ことができるかどうかに、その人の育ちや品位・見識が現れるとマロニエ君は思います。

これらのお母さん達は、もちろん親なので子供のためということもあるでしょうが、心のどこかにそういう挨拶をさせている親としての自分と、それを実行する子供の両方を世間に見せることで、まわりから感心されている筈だと思い込むことに満足しているように感じてしまいます。

現にその病院でのお母さんは、最後だけはいかにもという感じでしたが、待合室ではマロニエ君と肩が触れ合うぐらいの隣に座っていながら、真横にいるこちらのことなどまったくお構いなしに、かなり大きな声で子供にしゃべりまくり、あげくには変な抑揚をつけながら絵本の読み聞かせが延々と続き、なにしろ真横ですからかなり迷惑でした。

人にそんな不愉快を与えない気遣いができることのほうが、礼節という点ではよほど大事だと思うのですが、どうも本質的に感覚が違うようです。

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