音楽雑誌の記事やメーカーのホームページなどでしばしば目にすることですが、楽器メーカーはピアノの新機種の開発、とりわけコンサート用のピアノの製作にあたっては、かなり積極的に外部の人物の意見や感想などの、いわば聞き取り調査を行っている由で、それらを検討し、反映させながら開発を進めていくのだそうです。
中でも重きを置かれるのがピアニストの意見で、メーカーに招いて試弾をしてもらって、その感想や要望、アドバイスなどを拝聴するというもののようです。
では実際の現場でそれがどの程度の重要性をもっているのかということになると、マロニエ君はそれを見たわけではないのでなんともわかりませんが、少なくともそういうことをしばしばやっていると書いてある文章を何度も目にするので、それならそうなのだろうと思っているわけです。
たしかにピアニストこそは実際にピアノを演奏し、訓練された身体と感性を駆使して直接的に楽器を鳴らす現場人という意味で、メーカーとしても一目置くべき格別な存在であるのは頷けます。演奏者なくしてピアノはピアノの価値や魅力を広くあらわす機会はないわけで、だからこの人達の意見は尊重され、深く受け止められるのは当然だろうとも思います。
ただし、まったくマロニエ君の個人的かつ直感的な意見ですが、だからといって、これも度が過ぎるといかがなものかと思わないでもありません。
ピアニストも様々で、本当にピアノのことをわかっている優秀な人も中には少数いらっしゃいますが、逆な場合が実は大多数だという印象があります。何曲を弾きこなすことは得意でも、楽器としてのメカニズムの知識はまったく素人並みで、それでも自分はピアノの専門家という自負があるので、ときにとんちんかんな意見となり、これはよくよく注意すべきでしょう。
いろいろ耳にすることですが、ピアニストのピアノに対する要望というのは、多くがまったく個人的な事情に基づいたものであることが多いし、中にはとんでもないことを真顔でまくし立てる人もいらっしゃるそうです。とりわけホールのピアノにそういう個人的な感性を要求し、場合によっては元に戻せない状態になってもなんの斟酌もないというのはどういうことかと思います。
ましてや、これが普遍性をもった全体の響き、広い意味での音色、様々な特性を持つホールで、いかに理想的に音が構築され、あらゆる環境に適合する最も理想的に音が鳴り響くかという点においては、ピアニストにそれが適切にわからないのは当然です。
別にピアニストに判断力が頭から無いと云っているのではなく、その分野の判断力は、彼らの専門とは似て非なるものだと云いたいわけです。
だいいちピアニストは誰でも、永久に、自分の生演奏を客席で聴くことはできません。
要するにピアニストの好みと都合で作られたピアノというものが、聴衆にとって理想的な楽器であるとはマロニエ君はどうしても思えないわけで、もちろんメーカーがそういう側面だけでピアノを作っているとは思いませんが、あまりそれに翻弄されないほうが、むしろ素晴らしい楽器が生まれるように感じてしまいます。
優秀な専門家達のコンセンサスと科学の力によって、キズのない、上質な、優等生的な楽器を作ることはチームの力でできるかもしれませんが、果たしてそれで聴く者の魂が真に揺さぶられるかというと、大いに疑問の余地あると思います。
やはり、楽器造りはそれそのものが芸術だとマロニエ君は思いますので、すこぶる優秀な、できれば天才級の製作家が、自ら厳しく追求し判断し最終決定することだとしか思えないのです。煌めく楽器造りのためにはどこかにエゴがあってもいいと思うのですが。