続・里親になるには

電話の向こうの女性は、話し方はえらくドライですが、こちらのこととなると何の躊躇もなく矢継ぎ早に質問され、それは今どきの個人情報とかプライバシーに対して過剰なぐらい相手に気を遣う、当節の慣習からかけ離れたような大胆さで、ズカズカと踏み込んで来られるようでした。

家は一軒家か、現在の家族構成から、家を留守にする時間や頻度、さらには家族全員の年齢もこまかく聞かれて、その挙げ句に私の親(今は元気にしていますが)に対し、その方よりも猫のほうが長生きをする可能性がありますから、先におうちの方が亡くなられたときの対策も考えておくべきだと言われたときは、そのあまりの無礼さに、人と動物のどちらが大切なのかと思い、不快感で全身じっとりと汗がにじむようでした。
こういう発言はあきらかに動物愛護の精神を逸脱した、人の道義を踏みにじるものだと思いました。

ついマロニエ君も、そんなことを言い出すなら、人は誰しも生身であるわけで、私もいつ交通事故で死ぬかもわからないでしょうというというと、「そうなんです。ですからそういうときのためのネットワークを構築するわけです!」と一瞬もひるみません。
同様の理由から、一人暮らしの人間は動物の里親にはなれないことになっているという論旨には開いた口がふさがりませんでした。たかだか(といっては悪いかもしれませんが)猫一匹を飼うのにも、今どきは独り者(マロニエ君は一人暮らしではありませんが)ではその資格さえないというのでは、これはもう立派な差別に当たるのではないかとさえ思いましたね。

今どきの通俗的な言い方をするなら、一人暮らしでも、責任をもってきちんと愛情深い動物のお世話をされる人もいらっしゃるわけで、現にマロニエ君はそのような人を知っています。しかし、こういう人達の物差しで見るなら、一人で健気に子育てをしているシングルマザーなんか、即親権剥奪ものでしょうね。

さらに続きます。「ご近所にご家族はお住まいですか?」といわれ、今どき田舎でもなしそんな人はいないというと、もしも飼い主が病気で入院などをした際に、猫ちゃんの世話をするための連絡先を「私達が把握しておく」というのです。
そんなことは飼い主たるものの責任で解決するのが当たり前であって、なにかというと、いちいち元の保護者およびその一派が介入してくる事ではないと思います。それ以外にも、室内飼いをすることを確約すること、網戸には必ずストッパーを付けることが条件、さらには頻繁に猫の状態を保護者に報告する事、などなど。
アナタ、一体に何様ですか?という気分でした。

一週間のトライアル(猫とのお試し生活)を経て、向こうが求めるすべての要件をクリアし、晴れて里親として「認められた」ときに、いよいよ書類を取り交わし、そこに署名(法的に有効なものかどうかはしりませんけど)をさせられ、さらにあれこれの事細かな約束をさせられるようです。

たしかに動物の命は大切です。努々好い加減な気持ちで飼ってはいけないことは重々承知ですし、世の中には心ない飼い主がいることも事実でしょう。でも、それはそんな女性から上から目線で云われなくてもマロニエ君のほうがよほほど承知しているという自信もあります。
言っていることはえらく大上段に構えて正論めいていますけれども、率直にいうなら殺処分されかねないその猫たちを引き取って愛情をもって育てましょうというこちら側の意向あってのことなのですから、少なくとも新しい里親になろうという人に対しては、もう少し普通に人間としての品格をもって接するべきだと思いました。

そんなに猫の生活や飼い主の心得が大事なら、ペットショップの店頭にでも行って、見に来たお客さんすべてにそれらの考えを伝達して、動物を飼う際の20年先までの飼い主の健康および環境の保証、万一に備えたネットワークまで必要だという心得を諄々と講義したらいいと思います。

しかも驚くことに、電話を切って30分もしないうちに同じ人から電話があり、保護者に連絡したところ先に話を進めている相手がいて決まりそうとのこと。それならば仕方がないというものですが、「それとは別にいま、早良区に急遽里親さんを探している人がいらっしゃるので、よかったらその方をすぐにご紹介したいのですが?」という、これまた一方的な申し出がありました。
もちろん写真の一枚もない言葉だけの急な話で、なんの判断材料もないまま電話口で返答を迫られても返事など出来るはずもなく、言下にお断りしたのはいうまでもありません。すると「じゃあ、○○さんは、さっきの猫ちゃんはネットを見て写真が可愛いから連絡をされたんですか?」と切り返してきたのには本当に驚きました。
あまりにも呆れたので、はっきりと「そうです。可愛いというだけではなく、全体の雰囲気なども自分の好みだと感じたからです。」といいましたが、「ああ、そうなんですね…」でおわりました。
全体的に立派なことを言われますが、一皮剥けばえらく勝手で一方的だなぁ…という印象しか残りませんでした。

だいたいこういう人は、自分達こそは正しいことをしているという勘違いと思い上がりがあるということを嫌というほど感じました。いわゆる市民運動家などもそうですが、この手の人達は正論を錦の御旗にして、人には上から偉そうにお説教しますが、自分のことになるとあきれるほど勝手でだらしがなく、押し付けがましく自己中なのががほとんどです。

そんな彼らに行き先をいいように差配される猫たちのほうがよほど気の毒というものです。

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