調整が目指すもの

連日におよぶスピーカー作りを一休みして、週末は再び知人のスタインウェイの調整を見学させてもらいました。
このピアノは、もともと大変素晴らしい楽器なのですが、オーナーがこのピアノにかける期待にはキリがないご様子で、さらに上を目指して素晴らしいピアノにしたいというその熱意はたいへんなものがあり、より高度な調整を求めていらっしゃるようです。

前回と同じピアノ技術者さんで、この日はやはり各所の調整や針刺し、とくに弦の鳴りをよりよくするための作業などが進められましたが、技術者さんが仰るには、やり出すと調整の余地はまだまだ大いにあるのだそうで、今後(果たしていつまでかわかりませんが)を楽しみにして欲しいというものでした。

確か前回が8時間ほど、今回も5時間ほどが作業に費やされましたが、ピアノの調整というのは精妙を極め、しかも部品点数が多いということもあってなにかと時間がかかるし、明快な答えがあるわけでもないため、これで終わりということのない無限の世界だということを再認識させられました。

とりあえずこの日の作業終了後にマロニエ君も少し触らせてもらいましたが、その変化には一瞬面食らうほどで、たしかに音には芯と色艶が出ているし、以前よりもたくましさみたいなものが前に出てきたように思います。さらにはよりダイナミックレンジの大きな演奏表現をした場合に、ピアノが無理なくついてくるという点でも、音の出方の限界を後方へ押しやったのだろうと思われます。

しかし、楽器というものが極めてデリケートで難しいところは、以前このピアノがもっていたある種のまとまり感みたいなものもあったように思い出され、あれはあれでよかったなぁ…なんてことを感じなくもありませんでした。
ピアノも云ってみれば一台ずつに「人格」があり、そこにいろいろな個性がうごめいているのだと思います。生まれながらに持った性格もあれば、あとから技術者によって意図的与えられる性格もあるでしょう。

たしかに、基本的なところから正しい調整がされることは非常に大切で、変なクセのあるピアノだったら一度ご破算といいますか、一旦リセットされたようになる場合も多く、とりあえず楽器としての健康な土台みたいなものが新しく打ち立てられるというのは、作業の流れとして順当なところだろうと思います。

しかし、それ以前にあった、そこはかとないやさしみや味わいみたいなものはひとまず洗い流されてしまって、ちょっと残念さも残ったりと、このあたりが人の主観や印象の難しいところです。しかし、新たに鍛え直されて健康なたくましさが出てきたことはやはり歓迎すべきで、弦の鳴りから細かく調整されたことで、さらにサイズを上回るパワーが出たのも事実でしょう。

ただし発音が溌剌とはしているけれど、どんなときでも背筋を伸ばして、正しい発声法で一直線に歌っている人のようで、マロニエ君はそこにもう少し陰翳があるほうを好む気がします。
音色そのものはいじっていないので同じ方向の音にあるといわれますが、総体としてのピアノと見た場合、後述する要素を含めて前とはあきらかに別物に変化してしまったというのがマロニエ君の印象です。

もともとよく鳴っていたピアノでしたから、それがさらにパワフルに鳴るようになることは技術者サイドで見れば順調かつ正常な進化なんだろうとは思いますが、弾く側にしてみると、心に触れる「何か」を残しておいてほしいのも事実かもしれません。

また、別物に変化したというもうひとつの大きな要因は、タッチがぐんと重くなったことと、音の立ち上がりを良くしたとのことでしたが、それはたしかに体感できたものの、タッチコントロールがかなり難しくなってしまったことも小さくない驚きでした。
このピアノには比較的大きめのハンマーが付いているようで、重いのはそのためだと云う説明でしたが、もしかすると以前の調整はそのあたりも含めて絶妙の調整(メーカーの設定とは違っていたにしても)がされてたということかもしれません。

このピアノの以前の状態が良くも悪くも職人の感性も含んだセッティングであったのか…そのあたりはマロニエ君のような素人にはわかるはずもありませんが、ただ、あれはあれでひとつの好ましいバランスがあったというのはおぼろげな印象としてのこりました。要するにそれなりの帳尻は合っていたと云うことでしょうか。

ひとつの事に手を付け始めると、そこから全体がドミノ倒しのように変わっていく(変えざるを得ない)のはピアノ調整で日常的にあることです。このあたりは技術者さんの考え方や作業方針にもよるし、弾く人の好みの問題もあり、ひじょうに判断の難しい点だと思いますね。

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