タングルウッド音楽祭の創立75周年記念ガラ・コンサートでは、2人のピアニスト、すなわちピーター・ゼルキンとエマニュエル・アックスが登場しました。
ピーターがベートーヴェンの合唱幻想曲をトリで弾いたのは前回書いた通りでしたが、アックスのほうはハイドンのピアノ協奏曲のニ長調から2、3楽章を演奏しましたが、この両者は、同じ日の同じ会場ながら、オーケストラも違えば、使うピアノもまったくの別物が準備されていました。
アックスのほうはハンブルクのDで、それもおよそアメリカとは思えないような繊細で、純度の高い美しい音を出すピアノで、まずこの点は良い意味でとても意外でした。
というのも、以前のアメリカではハンブルク・スタインウェイでもニューヨーク的な音造りをされたピアノが珍しくなく、アメリカ人の感性の基準にある整音や調律とは、こういう音なのかと驚いたことがありました。
それでも以前のアメリカではハンブルクは稀少で、大抵のステージに置かれるピアノはほぼ間違いなくニューヨーク・スタインウェイだったものですが、近年はどのような理由からかはわかりませんが、ハンブルク製も続々とアメリカ大陸に上陸しているようで、聖地ともいうべきカーネギーホールでも今はハンブルクが弾かれることが少なくないようです。キーシンやポリーニなどはいうに及ばず、最近おこなわれたという辻井伸行さんのカーネギーホール・リサイタルでもステージに置かれているのはハンブルクのようでした。
アメリカ人で意識的積極的にハンブルク製を使うようになった最初のアメリカ人ピアニストは、マロニエ君の印象ではマレイ・ペライアだったように思います。アメリカ人の中にもハンブルクの持つ落ち着きと潤いのあるブリリアンスを好む人達がいるという流れの走りだったと思います。
いっぽう、今回のタングルウッド音楽祭でもピーター・ゼルキンはニューヨークを使っていました。
それも最近数が増えてきた艶出し塗装のニューヨークです。私見ですが、ニューヨーク・スタインウェイってどうしようもないほど艶出し塗装が似合わないピアノで、無理に気に沿わない礼服を着せられている気の毒な人みたいな印象があります。
ただし、見ていてああニューヨークだなと思われるのは、その塗装の質があまりよろしくないという点でしょうか。とくにピアニストの手をアップすべくカメラが寄ると、最近のカメラ映像と液晶テレビの相乗作用で鍵盤蓋の塗装の質まで手に取るようにわかるのですが、あきらかに塗装の質がハンブルクに較べて劣っているのがわかります。
逆に、ニューヨークの面目躍如とでもいうべきは低音のさざ波のような豊かさで、これは現在のハンブルクが失ったものがこちらにはまだ残っているような気がします。ただし欠点も欠点のまま残っていて、たとえば次高音あたりになると音のムラが激しくなり、音によってはほとんど鳴りと呼べないような状態のものまで混ざっていて、このあたりが格別の素晴らしさがあるにもかかわらず、ニューヨーク・スタインウェイの全体としての評価の下げてしまっている部分のように思われます。
おや?と思ったのは、真上からのアングルのシーンが何度が映し出されましたが、どうやらこのピアノはスタインウェイ社のコンサート部の貸し出し用のピアノと思われ、フレーム前縁のモデル名とシリアルナンバーが記されている三角形部分には、通常の6桁のシリアルナンバーはなく、代わりに「D」の文字に寄ったところに3桁の数字が記されていました。
想像ですが、コンサート部の貸し出しの年季が晴れて、外部に売却されるときに通常のシリアルナンバーへと書き直されるのではないかと思いましたが…これはあくまでも想像です。
それはともかく、アメリカのコンサートではなにかというと飽きもせずアックスやP・ゼルキンがいまだに出てくるようですが、もっと違った輝く才能もどしどし登場させて欲しいものです。