ポリーニ追記

今回のポリーニの来日公演、実際は知りませんが、少なくともテレビ放送ではベートーヴェンの5つのソナタが演奏され、出来映えは大同小異という印象でしたが、強いて云うなら27番がよかったとマロニエ君には思われ、逆にテレーゼ(24番)などは、どこか未消化で雑な感じがしました。

それに対して最後の三つのソナタ(30番、31番、32番)は、個人的に満足は得られないものの、ともかくよく弾き込んできた曲のようではあり、身体が曲を運動として覚えているという印象でした。
しかし、残念なことにこの神聖とも呼びたい、孤高の三曲を、いかにもあっけらかんと、しかもとても速いスピードでせわしなく弾き飛ばすというのは、まったく理解の及ぶところではありませんでした。

中期までのソナタなら、場合によってはあるいはこういうアプローチもあるかもしれませんが、深淵の極みでもある後期の三曲、それも今や巨匠というべき大ベテランが聴衆とテレビカメラに向かって聴かせる演奏としては残るものは失意のみで、甚だしい疑問を感じたというのが偽らざるところでした。

リズムには安定感がなく、音楽的な意味や表現とは無関係の部分でむやみにテンポが崩れるのは、聴く側にしてみるとどうにも不安で落ち着きのない演奏にしか聞こえません。まるでさっさと演奏を済ませて早くホテルに帰りたくて、急いで済ませようとしているかのようでした。
何をそんなに焦っているのか、何をそんなに落ち着きがないのか、最後の最後までわかりませんでした。
次のフレーズへの変わり目などはとくにつんのめるようで、前のフレーズの終わりの部分がいつもぞんざいになってしまうのは、いかにも演奏クオリティが低くなり残念です。

とりわけ後期のソナタになによりも不可欠な精神性、もっというなら音による形而上的な世界とはまるで無縁で、ただピアニスティックに豪華絢爛に弾いているだけ(それもかなり荒っぽく、昔より腕が落ちただけ)という印象しか残りません。

それでも、日本人は昔からポリーニが好きで、こんな演奏でも拍手喝采!スタンディングオーべーションになるのですから、演奏そのものの質というよりは、今、目の前で、生のポリーニ様が演奏していて、その場に高額なチケット代を支払って自分も立ち会っているという状況そのものを楽しんでいるのかもしれません。
もはやポリーニ自身が日本ではブランド化しているみたいでした。

ピアノはいつものようにファブリーニのスタインウェイを持ち込んでいましたが、24番27番では、これまでのポリーニではまず聴いたことのないようなぎらついた俗っぽい音で、これはどうした訳かと首を捻りました。ポリーニの音はポリーニの演奏によって作られている面も大きいのだろうと思っていただけに、このピアノのおよそ上品とは言い難い音には、さすがのポリーニの演奏をもってしても覆い隠すことができないらしく意外でした。

日が変わって、最後の三つのソナタのときは、それよりもはるかにまともな角の取れた音になっていて、音色という点ではポリーニのそれになっていたように思います。

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