ポリーニの日本公演の様子を見てみて、今回あらためて思ったことは、彼は実はとても音量の大きなピアニストだという事でした。これはよく考えてみると新発見に近いものだったと思います。
同じボリュームでも、ポリーニの演奏になると音の鳴るパワーが全体に違うことがわかりました。
ポリーニは甘くやわらかな音のピアノに向かって、全体に均等に分厚い音を朗々と鳴らしますが、そのタッチ特性からくる発音に一定の品位がある上に、楽器にもうるさい彼はメタリックな音のするピアノを好みませんから、それらが合体して粗さのない、非常に充実したオーケストラ的な響きになるのだろうと思います。
若い頃のポリーニのリサイタルには何度も足を運びましたが、とにかくその圧倒的英雄的演奏に打ちのめされて、毎回上気した気分と深いため息を漏らしながら帰途についたものです。たった一台のピアノから、あれほど充実した響きと演奏を聴かされて、まるで何らかの記録樹立者が汗まみれになって目の前にいて、それを見守り熱狂する我々観衆というような感動と興奮を味わえることこそ、ポリーニの生演奏の特色であり最高の魅力でした。
それは煎じ詰めれば、彼のピアノ演奏が際立ったものであるのは当然としても、聴衆を圧倒する要素のひとつにあの音量があったとは気が付きませんでした。おそらく、通常の人なら音量が大きい場合に不可避的につきまとう音の割れや粗さが彼の音には微塵もないために、ただ演奏が筋肉的にしなやかで、ずば抜けたテクニックと迫真性ばかりに浸っていたように思います。
ポリーニは20世紀後半を代表する最高級のピアニストのひとりであったことは云うまでもありませんが、強いて不満を云うならば、彼の演奏には歌の要素やポリフォニックな要素が稀薄だというところでしょう。むしろピアノ全体を均等に充実感をもって鳴らし切ることと、正当で流麗な解釈、それを構造学的な美学志向で積み上げていくタイプのピアニストでした。
この点でもうひとつ気付いたのは、ある程度歳を取ってからのポリーニの指先です。関節が非常に固く、おまけに爪がおそろしいまでに上に反っています。
このジャンルの草分け的存在であり大御所でもある、御木本澄子さんの説によれば、芯のある強靱な音を楽に出せるピアニストの指に必要なものは固く固まった第一&第二関節なのだそうで、ケザ・アンダの指などはほとんどこの部分の関節は動かないまでに固まっているのだそうです。
ポリーニのあの独特なやわらかさを兼ね備えた甘くて強靱な美音は、まずはこの固い関節がタッチの土台を支えているからこそだと思いました。
また一般論として、肉付きと潤いのある美しい音色を出そうとすると、上からキーを高速で叩きつけるのではなく、ほとんどキーに接地している指を加速度的に静かに力強く押し下げていくしかないと思いますが、ポリーニの美音と迫力あるボリュームの両立は、彼がその奏法を用いながら、さらに類い希な指(特に指先)の強靱な力の賜物だと思われます。
この奏法であれだけの大音量を出すという演奏形態を長年続けてきたために、彼の指先はあのように上に反り上がってしまったものだろうと思いました。
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気が付けばこれが今年最後のブログになってしまったようで、あわてて年内にアップします。
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