数あるショパン弾きの中でも、知る人ぞ知る逸材として有名なピアニストにルイ・ロルティがいます。
彼はフランス系カナダ人のピアニストで録音もそれなりにあるものの、レーベルの問題か来日が少ないのか、ともかく日本ではあまり知られていないというのが実情でしょう。
しかし、彼が20代の後半(1986年)に録音したエチュード全27曲は隠れた名演の誉れ高く、マニアの間では伝説的なディスクとして評判になっているようです。
このエチュードがきっかけだったのかどうかわかりませんが、次第に彼はショピニストとして認められてきたようです。そのロルティの最新のショパンアルバムを聴きましたが、残念ながらあまり好みのCDではありませんでした。
後期のノクターンと4つのスケルツォを交互に組み合わせ、最後に2番のソナタという内容ですが、どこといって目立つ欠点があるわけでもないのに、なにか心に残らないショパンでした。
よく理由がわからず、なんども聴きましたが、おぼろげに感じるのは演奏者当人の個性が希薄であること。
やや詩情に乏しく、ルバートや歌いこみのポイントに必然性からくる説得力がない。
平たく言えば、とてもきれいだけれどもシナリオ通りというか演技っぽくて、そこに演奏者の本音が見えない演奏だったと思います。
すべてが美しい織物のように演奏されている、美の表面だけをなめらかに通過するような印象でした。
聞けばロルティは往年の演奏家の研究にも熱心なピアニストだということですが、ひとつにはそれが寄せ集め的な印象を与えるのかもしれません。
マロニエ君自身はそれほど熱狂しなかったものの、ちなみに24年前のエチュードを聴きなおしたところ、これには一貫した若い美意識と推進性がありました。今回のアルバムでは、そのような挑戦の気概が感じられず、ネガつぶしをしたことによる、当たり前の美しさの羅列という感じで、一曲一曲からくる固有の相貌と迫りがないわけです。
また、ロルティはファツィオリのアーティストにもなったようで、録音にもこのピアノを使っていますが、やはり基本的な印象はかわりませんし、単純にきれいな音とは思いますが、あまりにもキラキラ系のピアノで、演奏の問題も加わって聴いているうちに、だんだん飽きて、疲れてきました。
すくなくともマロニエ君は聴いていて、何かが内側で反応するような類のCDではありませんでした。