五嶋みどり

暮れに民放のBSで、五嶋みどりさんのドキュメント「五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」という番組をやっていたので録画を見てみました。

彼女を始めて聴いたのはズカーマンとの共演によるバッハのヴァイオリン協奏曲のCDで、修行のためアメリカに渡った日本人の天才少女ということで認められ、大変な話題になったことがきっかけでした。写真を見ると本当に小さい華奢な女の子ですが、その演奏はまったく大人びた堂々たるもので驚嘆した覚えがあります。

その後は実演にも何度か触れましたが、その演奏は繊細かつ大胆で、どの曲も驚くばかりに周到に準備され、隅々にまで神経が行きわたっており、天才たる自分に溺れることの決してない、常人以上の努力家であることを伺わせるものでした。少なくとも楽譜に書かれたものを再現するという点においては、まったく隙のない出来映えで、どの曲を弾いてもそこには徹底して譜読みされ、構築され、練習と努力で磨き上げられた果てに到達する完璧という文字が浮かんでくるようでした。

ただ、マロニエ君は昔から、五嶋みどりはすごい、素晴らしいとは思っても、好きな演奏家というものにはどうしてもなれない何かがつきまとっていました。
演奏は文句の付けようがないほど練り込まれ、なるほど立派だけれど、ただ立派なものを見せつけられて「畏れ入りました」と頭を下げるしかないような不満が残ります。それはマロニエ君にとっては、彼女の演奏は聴いていて良い意味での刺激とか喜び、とくに「喜び」の要素が感じられなかったからだと思います。
要するに味わいや遊び心がないわけです。

それがこの番組を見て、一気に長年の謎が解けたようでした。
今回のツアーは長崎五島からはじまって、各地の教会やお寺などでバッハのヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータを演奏するというものでした。その質素の極みのような生き方も含めて10人中10人が感心して褒め称えるようなものなのでしょうが、あくまでマロニエ君が感じたところでは、なんだかちょっと嫌味な感じがありました。

彼女は現在ロス在住で、どこかの音大の弦楽部長という責任ある地位にもあるそうで、毎日朝の6時から夜の12時まできわめて忙しい生活を送っているとのこと。
その合間に自分の練習をし、コンサートやツアーこなし、泊まるのはどこでも常にビジネスホテル、移動は絶対に公共交通機関でなくてはならないなど、まるでストイックな禅僧がヴァイオリンケースを担いで修行のひとり旅をしているようでした。

もちろんマロニエ君は、ちょっと著名なコンクールに優勝するや忽ちコマーシャリズムにのって、売れてくると贅沢に走り、どこへ行くにも特別待遇を当然のように思ってしまう勘違いの演奏家などは云うまでもなく嫌いですし、芸術家としても尊敬できません。
でも、それと同じように、こういう求道者のようなスタンスにことさら固執して、いかなる場合も、何があろうとこれを譲らず、自分の特異なスタイルを堅持していくというセンスも逆に嫌いなのです。なぜなら、それはコマーシャリズムに走る演奏家や価値観を、ただ逆さまにひっくり返しただけの強い主張のように見えてならないからです。

そのために周りの迷惑も厭わず、ひじょうに強情な人間の姿を見るような気がするのかもしれません。昔の言葉ですがやたらツッパッテいて余裕がないし、しかもそれがストイック志向であるだけに、とりあえず立派だということになるし尊敬の対象にさえなり得る。
でも、主催者や周りにしてみれば、ある程度のお膳立てにのってくれるアーティストのほうが楽なはずで、そういうことを無視するのは一見いかにも自分というものがあるかのようですが、同時に甚だしいエゴイストのようにも見えてしまいます。

あくまでもマロニエ君の好みや受けた印象の話ですが…。

五嶋みどり」への1件のフィードバック

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    はじめまして~…突然ですが、共感デス。
    五島さんの演奏は硬質で完璧に聞こえます。でもだからこそ、か?
    「この人道で私にあっても、きっと虫をみるような眼で見そう」
    と感じてしまって、聞けば聞くほど不快感が増してくる…というか?

    音楽の批評は難しいです。が、
    聞いても自分が幸せにならない音楽ってあるのか、と。
    読ませてくださってありがとうございました。

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