やれやれというべきか、いわゆる年末年始といわれる時期がやっと終わった気がします。
どうしてだか自分でもはっきりわかりませんが、マロニエ君はむかしからこの時期がとにかく苦手でした。
とりわけクリスマスを過ぎて、あと数日で新年を迎えるという時期になると、それまでの師走の忙しさや賑わいによる一種の興奮状態がウソみたいに消えて静まり、街中は一転してガランとしてしまいます。この感じがたぶん嫌なのです。
まるでチャイコフスキーの悲愴交響曲のように、第3楽章の異常なまでの活気や喧噪のその向こうに、対極の陰鬱な世界ともいうべき第4楽章があるように、そこには打って変わった、静まりかえった、すべての動きが止まって眠りについてしまったような空気に街全体が覆われてしまのが嫌いなんでしょうね。
昔ほどではないにせよ、お店というお店はあまねくシャッターが降りるなど閉店状態となり、形だけの門松や謹賀新年の文字とは裏腹に、人のいない死んだような真っ暗な店内など、視界に入るだけでも嬉しくはないわけです。
普段は渋滞するとイライラしているくせに、この時期は車も激減して、道は皮肉なほどスイスイと流れ、それが幾日も続くのは何十ぺん経験してもなぜか慣れるということがありません。
とりわけ今年はカレンダーの都合から、休みが異様に長く、世の中が一応動き出すまでに10日はかかったわけですし、それが本当の意味で平常に戻るのはもう少しかかるのかもしれません。
欧米やその他の諸外国では、どのような年末年始の過ごし方をしているのかは知りませんが、日本のそれは表向きの建前とは裏腹に、なんとも暗くて冗長なだけで、人々が真からこの時期を楽しんでいるようには思えないのですが他の人はどうなんでしょう。
マロニエ君は決して勤勉ではないどころか、大いに怠け者の部類であることは自認していますけれど、そんな人間からみても最近の日本はいささか休みが多すぎるように思います。
昔は週休2日なんてものもなかったし、それをみんな不満にも感じずに土曜まで働いていましたし、学校もお昼までですが行かなくてはなりませんでした。
これだけでも年間50日も休みが増えたことになります。
さらに祝日も増え、それが日曜と重なると今度は振り替え休日になり、どうかすると休日の間にポツポツ平日が挟まっているようで、これでは物事がはかどるはずもなく、事を進めようにもむやみに時間ばかりかかって、一体なんのための休みかさえもわかりません。
そういう意味では、昔は携帯もネットもなかったけれど、みんな一人ひとりに覇気があって、世の中全体にも熱気があって、活力ある生活を送っていたようにも思い出されてくるこのごろです。戦後の高度経済成長はそんな活き活きとした頑張りの中から達成されたものでしょう。
個人別に話をすると「休みが多すぎて持て余している」という声はほうぼうから異口同音に聞こえてきますが、一旦休みになったものを制度として返上することはなかなかできないことなんでしょうね。
もとはといえば、政治家が国民へのくだらないゴマすりのために祝日を増やしたり振り替え休日を作ったわけですが、いささかげんなり気味のマロニエ君です。