ジョン・リル

過日、NHKのクラシック倶楽部でジョン・リルの昨年の日本公演の様子が放送されました。

この人はベートーヴェンを得意とするイギリスの中堅どころだと思われますし、我が家のCD棚にも彼の演奏によるベートーヴェンのピアノソナタ全集がたしか一組あったはずです。

もう長いこと聴いていませんでしたし、これまでにもとくにどうという印象もなく、たしか格安だったことが理由でその全集を買ったような記憶があるくらいで、今後もおそらく積極的に聴くことはないでしょう。

ステージにあらわれたリルはもうすっかりおじいさんになっていましたが、イギリス人演奏家らしい良くも悪くも節度があり、際立った個性も強い魅力もない、まさに普通のピアニストだと思われ、それ故に彼の演奏の特色などはまったく記憶にありませんでした。そんなリルの演奏の様子を見てみて、やはりその印象の通りで人は変わらないなあ…というのが率直なところでした。

お定まりに、この日は最後の三つのソナタを演奏したようですが、テレビでは放送時間の関係でop.109とop.111の2曲だけが紹介されました。

決定的に何か問題があるわけではないけれども、とくにプラスに評価すべきものもマロニエ君にはまったく見あたりませんでした。技術的にも見るべきものはなく、CDを出したりツアーに出かけたりするギリギリのランクといったところでしょうか。

まず最も気になったのが、キャリアのわりに解釈の底が浅く、まるで表現に奥行きというものが感じられませんでした。これはとりわけベートーヴェン弾きとしてはなんとしても気になる点です。
さらには音の色数が少なく、表現にも陰翳が乏しくて、ただ音の大小とテンポの緩急だけで成り立っている音楽で、作品に横たわる精神性に触れて聴く者が心を打たれ、高揚するというようなことがほとんどありませんでした。

ただ、二曲とも、なにしろ曲があまりに偉大ですから、どんな弾き方であれ、一通りその音並びを聴くだけでもある一定の感銘というものはないわけではありませんが、しかしそこにはより理想的な演奏を常に頭の中で鳴らしている自分が確実にいるわけで、この演奏ひとつに委ねてその世界に浸り込むということは到底できないと思われました。

こう云っては申し訳ないけれども、とくに最後のソナタop.111では、どこか素人が弾いているような見通しの甘さがあって、この点は大いに残念でした。この曲はマロニエ君の私見では第2楽章がメインであって、第1楽章はそれを導入するための激しい動機のようなものに過ぎないと思っています。

第1楽章の最後の音の響きが途切れぬまま、かすかに残響している中に第2楽章のハ長調の和音が鳴らされたときには「なるほど、こういう解釈もあるのか」と一瞬感心されられましたが、その第2楽章の主題があまりにテンポが遅く、間延びがして、この静謐な美を堪能することができませんでした。
とくにこの楽章の冒頭ではリピートを繰り返しながら少しずつ先に進みますが、そのリピートが煩わしくて「ああ、また繰り返しか…」とダルい気がするのは演奏に問題があるのだと言わざるを得ません。

この主題は大切だからといってあまりに表情を付けたりまわりくどいテンポで弾くと、却ってそこに在るべき品格と荘重さが失われてしまうので、これはよほど心して清新な気持ちで取り扱うべき部分だと思いました。

「二軍」というのは野球の用語かもしれませんが、どんな世界にもこの二軍というのはあるのであって、ジョン・リルの演奏を聴いていると、まさにピアニストにおける生涯二軍選手という感じがつきまといました。

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