古紙回収

我が家には仕事の関係上、古い書籍や雑誌が少なからずあるのですが、とくに客観的価値のあるものでもなく、いつかその整理をしなくてはと思いながら、ずるずると先延ばしになっていました。

最大の理由は、単純明快にまず面倒臭いということでしょう。
引っ越しや何かで、半ば強制的にやらされれば面倒臭がっている暇もないかもしれませんが、これを任意でやるというのはマロニエ君のような人間にとっては生半可なことでは着手できません。

とくに先代から受け継いだものなどがある場合は、よけいその傾向が強まります。
そんな中でも毎年自分で避けてきた時期としては、湿度や暑さにめっぽう弱いマロニエ君としては梅雨から夏場にかけてだけはやりたくないので、やるときは冬だと決めていました。で、この冬は少しその覚悟をしていたのです。

いっそなにもかもというのなら話はまだ単純ですが、手放す(捨てる)ものと残すものを選別することからはじまるのが煩わしくも悩ましい点です。

といってまた先延ばしにしていてもキリがないわけですが、あるとき回覧板に町内の「古紙回収日」と大書された文字が目に留まり、ついにそれに合わせて一部でもいいのでやってみることにしました。

いまさら言うまでもないことですが、紙というものは量が集まると、盛大に場所を取り、凄まじい重量にもなって、とてもじゃありませんが安易な気構えでは太刀打ちできる相手ではありません。
とりわけ古い書籍になると、その価値をどう見るかによっても判断は大きく影響されますし、それだけでなく個人的な思い出などが絡んでいる場合もあり、捨てる行為も大変なら、それと並んで捨てる決断をすることは非常に精神的な作業でもあると思いました。

尤もこれは本だけの問題ではなく、家にあるあらゆるものに共通することなのかもしれません。
マロニエ君は個人的な好みでいうと、モノを「捨てられない人」と「なんでも捨ててしまう人」、この両極端はハッキリ言ってどちらも嫌いです。
両者共に大いに言い分はあるのだろうと思いますが、それぞれが自分とは体質的に相容れず、あくまで程良いことが理想だと思うのです。もちろんマロニエ君がこの点で自分は常識派だと主張するつもりはありませんが、なんでももったいないといってモノの山をつくるのは真っ平ゴメンですし、逆に必要最小限のモノしか置かず殺風景の極みのような寒々しい空間にして、自分こそは賢いエコの実践者のような顔をしているタイプも甚だ苦手です。

というわけで、今回はとりあえず、どう考えても、今後も見ないだろうし先々でも要らないと思われる本を処分することにしました。といっても本来的には本を捨てるという行為は非文化的であまり好きではないのですが、まあそんな理想論ばかりもいっていられませんから、やはりどこかで一線を引く必要があるのも現実です。

果たして数百冊におよぶ本をゴミ回収のトラックに積むことになりました。
古本買い取りなども近ごろは盛んなようですが、聞くところでは労苦のわりには憤慨だけが残るような買い取りしかされないらしく、とくにマロニエ君宅には専門書関係が多いのでとてもそういう対象とも思えませんでしたし、要らないなら潔く古紙回収に出す方がマロニエ君としてはよほどせいせいするような気がしました。

で、実際に車のトランクの2杯ぶんぐらいを持っていきましたが、めでたく「せいせい」しました。

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