バーチャル

いつごろからのことだったか、「バーチャルリアリティ」という言葉がしばしば使われるようになりました。

いわゆる仮想現実で、マロニエ君も文字にできるほど正しい理解はできていませんが、おそらくはコンピュータの進歩でゲームなどの画面クオリティが飛躍的に上がり、臨場感の増した画面の中で自分が主役となり、そのリアリティあふれる高揚感を気軽に楽しめるようになったというようなことだろうと認識しています。
その出来映えがあまりに秀逸であるためか、人の精神にまで少なからぬ影響が顕れはじめ、ついにはそれら仮想と現実、疑似と真性の狭間がぼやけ、やがてそこを迷走する精神状態が引き起こす笑えない勘違いや、ひいては新手の犯罪まで多発するようになった記憶があります。

例えば、ジャンボ機を操縦できる本格的ゲームでこれに習熟した男性が、実機をも操縦できるという強い思い込みに発展、ついには本物のジャンボ機を乗っ取りクルーを殺害、自ら操縦桿を握り、ゲームと同様にレインボーブリッジの下をくぐり抜けるつもりだったのを、すんでのところで取り押さえられたというような信じがたい大事件があったこともありました。

そんなことを思い出させられたのは、知人から聞いたある地方でのピアノサークルでの様子でした。
ピアノサークルに参加する中にはそこそこ腕の立つ人もいて、ある程度の自信もあるらしいところまでは結構なことですが、でも、この人達はまぎれもないアマチュアであり、ピアノは余技として楽しんでいるものにすぎません。
ところが、場合によっては演奏会用ロングドレス持参でやってきて、演奏前には控え室でこれに着替え、まばゆいアクセサリーまでつけていざ演奏に挑むというのですから、その救いようのない勘違いには、さすがのマロニエ君もひっくりかえりました。

いっそのことコスプレマニアならまだ笑えますが、こういう人達はあるていど本気であるだけ変な怖さと耐え難い違和感があるわけで、大人のママゴトも、欲望と錯覚が高じてここに極まれりというところです。
マロニエ君に云わせれば、これも立派なバーチャルリアリティではないかと思います。

現代人は与えられた目先のルールにはえらく従順ですが、もっとそれ以前の、自分自身が備えるべきもの、つまり常識・良識から発する「分際」をわきまえるという本質を知ることがほとんど消えかかっているように思います。
法や規則に触れないことなら何をやってもいいという姿勢は、政治家や経済界が悪いお手本を示してきたように思いますが、いわゆる自由の濫費と解釈には大いに問題を感じます。

要するに、理屈じゃなく、自然にかかるべきブレーキというものがほとんど機能していない、否、そもそも始めから装備されていないといってもいいでしょう。

いまどきホールやそれに準じた会場を料金を支払って借り受けることは容易です。そのステージにドレス姿で現れて意気揚々と楽器を演奏するということは、なるほどどこにも違法性はないのでしょうし、善良な人間が自由に着飾って演奏を楽しんでいるという建前だけが一人歩きする。

しかも大抵の場合、マロニエ君の知る限りにおいては美の追求とは程遠い、別項に掲載している北米の読者さんも言っておられるように、ほとんど仮装行列に近いもので、こういうことを嬉々としてやろうとする、あるいはやりたいと感じる価値観や救いがたいセンスの無さに、やるせなさを禁じ得ません。

昔は、法だのルールだのというものの遙か以前の問題として暗黙のうちに「してはならないこと」というものがたくさんありましたが、今は崩壊していますね。

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