許光俊氏の著書

許光俊氏の著書『世界最高のピアニスト』(光文社新書)を読んでいると、あちこちにこの方なりのおもしろい考察があり、たちまち読み終えてしまいました。

各章ごとに、世界で現在トップクラスで活躍するピアニストたちが取り上げられているのですが、最後の2章は「中国のピアニスト」と「それ以外の名ピアニストたち」という括りになっています。

当然ながらこの方なりの感じ方や趣味があり、マロニエ君も全面賛成というわけではなかったものの、許氏の書いておられることは概ね納得のいくものでした。

中でもラン・ランの評価などは大いに膝を打つものばかりでした。

ラン・ランの場合に限らず確かなことは、真の意味で優れたピアニスト・音楽家であるということは、入場券の料金や満席具合とはまったく一致しないということ、さらにはこの点(チケットの売れるピアニスト)と芸術家としての実力との乖離は年々悪化傾向にあるとさえマロニエ君は思います。
興行主からみればコンサートはビジネスなので、チケットの捌けるタレントであることは最良で、だからラン・ランなどは世界中どこでも満席にできるタレントは、チケット売りで苦労の絶えない音楽事務所からすれば神様のような存在なんでしょうね。

日本人にもその手の、本来のピアニスト・芸術家としての力量とはちょっと違ったところで話題を掴んだ人が人々の関心を呼び、チケットはいつも法外なほど完売になるというような現象をこのところ目撃させられています。

また、チケット問題でなく、人気のユンディ・リもレイフ・オヴェ・アンスネスもきわめて低評価でまったく同感。

おかしくて思わず声を上げそうになったのはアルフレート・ブレンデルについてでした。
マロニエ君はこの人が功なり名遂げて、最高級の称賛を浴びるようになったときから一定の疑問を抱き、この人の弾き方のある部分のクセなどは嫌悪感すら感じていたひとりだったので、この稿はとくに快哉を叫びたいほどでした。
一部引用。
『この人には、美的感覚が決定的に欠けていると思う。ダサいリズム、スムーズでない抑揚、汚い響き、とにかく悲しくなるほど感覚的に恵まれていない人だと思う。〜略〜 知的ではあるが肝心な音楽的才能がなかったのが彼の決定的な弱点だった。また、それに気づかぬ人が多いのが、クラシック界の不幸だった。』

この部分を目にしただけでも、この本を買った価値があったと思いました。

しかし、問題はブレンデルどころではない、少なくともマロニエ君などにはおよそ理解不能なピアニストが世界的にもぞくぞくと出てくる最近の傾向には戸惑いを禁じ得ません。
例えばカティア・ブニアティシヴィリも最近出てきた人ですが、美人で指はよくまわる人のようですが、どう聴いていてなにも感じられない。本当にそこになにもないという印象。
パッと見はいかにも情熱的な音楽をやっているような雰囲気だけは出していますが、音は弱く、いかにも疲れないよう省エネ運転で弾いているだけという印象。主張も言葉もなければメリハリもない、マロニエ君に云わせればまるで音楽的だとは思われないのですが、昨年も来日してクレーメルらとチャイコフスキーの偉大なトリオをやっていましたが、あんな名曲をもってしてもまったく退屈の極みで、耐えられずにとうとう途中でやめました。

以前もラフマニノフの3番など、やたら大曲難曲を弾くだけはスルスルと弾くようですが、本当にそれだけ。なんだかピアノの世界もだんだんスポーツ化してきているんじゃないかと感じますね。

許光俊氏の著書」への1件のフィードバック

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    はじめまして。
    22歳大学生をしております。

    ブニアティシヴィリの演奏とその評価について疑問を以前より抱いており、
    同じように思っていらっしゃる方はいないのかな、と探しておりましたところ
    こちらのブログにたどり着きました。

    私もマロニエ様同様に、彼女の演奏については正直評価しかねる、と感じます。
    初めて聴いたのはヴェルビエ音楽祭のテレビ放送だったでしょうか、
    ペトルーシュカやリストソナタ、ラフマニノフの協奏曲の3番など弾いていたように思います。
    そのとき思ったのは、マロニエ様と全くの同意権でして、
    やけに音が小さく、かといってフォルテを出せば叩きつけるようで汚らしい音、
    音楽の流れも無駄に勿体つけていやらしささえ感じるほどでした笑
    ですが、世間の評価は異常なほどに高く、
    「なぜこんな音大生レベルの自己満足演奏が評価されるのだろう」
    と疑問を持っていました。

    同年代のユジャ・ワンを意識したレパートリーなのかなと思いましたが、
    ユジャほどは楽曲を消化しきれておらず、同系統のピアニストでも
    完成度はずいぶんと異なるものだなという印象です。

    中国系ピアニストについては個人的にはユジャ・ワンとユンディは好きな方ですが、
    ランランは苦手です。笑
    ユジャ・ワンとランランは少し似通ったところがありますが、
    ユジャの方が知性と美的センスには優れている気がします。
    ただ、彼女の場合は並外れた指先の技術が表現に奉仕している、と言った感じで
    音楽的に深みがあるかというと微妙なところだと思います。
    吉田秀和氏も仰っていましたが、スポーツのようで何曲聴いても同じような。

    長々と一方的に語ってしまいまして申し訳ございません。
    ついつい嬉しかったので長文になってしまいました。
    またこちらにお邪魔させてください。

    Masako

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