ホロヴィッツのピアノ

いまさら言うまでもありませんが、以下の感想はまったくマロニエ君個人の印象であることを、あらためて申し述べた上での感想です。

最近発売されたCDの中に、ホロヴィッツが初来日したときに持ってきたニューヨーク・スタインウェイを日本のさる会社が購入し、それを使って録音したCDがあります。
演奏は日本人の若い女性ですが、この人のCDは別の100年前のスタインウェイを使ったとかいうサブタイトルか何かに引き寄せられて一度購入して聴きましたが、二枚目を買うほどの気持ちにはなれないでいました。

しかし、今回のアルバムでの使用ピアノが、ホロヴィッツがステージでしばしば弾いたピアノそのものともなると、勢い興味の対象はそちらに移行してちょっと音だけでも聴いてみたいもんだとは思いましたが、それだけのために買う気にもなれないので諦めていたら、なんとそれが店頭の試聴コーナーに供してありました。

ほとんど買うつもりのないCDであっただけに、聴く機会もないだろうと思っていた矢先のことで、なんだか猛烈にラッキーな気になり、思わず興奮してしまいました。
興奮の種類にもいろいろあって、こんなみみっちい興奮もあるのかと思うと我ながら苦笑してしまいます。

結果から先に言いますと、まったくノーサンキューなサウンドが溢れ出し、とても長くは聴いてはいられないと思って、ササッといろんな曲を飛ばし聴きして、早々にやめてしまいました。
なるほどホロヴィッツの弾いたピアノであることはイヤというほどわかりましたが、演奏者が違うと、正直とても普遍的な好ましさがあるとは感じられず、ひどく疲れました。

あのピアノは、完全にホロヴィッツの奏法と音楽のための特殊なもので、それを普通のピアニストが弾いても、ただ下品でうるさくてメタリックな音が出るだけで、すごいとは思いましたが、魅力的とは感じられません。

ホロヴィッツのあの繊細優美と爆発の交錯、悪魔的な中にひそむエレガントの妙、常人には及びもつかないデュナーミク、そして数人で弾いているかのような多声的な表現が変幻自在になされたときに初めて真価を発揮する、極めてイレギュラーなピアノだというのが率直な印象。

こういうピアノも、なんらかの伝手と、チャンスと、お金があれば手に入れられるのが世の中というものかもしれませんが、こういう楽器を購入し、それをビジネスに供しようという考え自体がとてもマロニエ君にはついていけない世界のように思えてなりませんでした。

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