ピアノリサイタルに出かけるときの楽しみは、云うまでもなく素晴らしい演奏をじかに聴くことであり、その音楽に触れることにありますが、脇役的な楽しみとしては、会場のピアノや音響などを味わうという側面もあります。
そしてさらにお菓子のオマケみたいな楽しみとしては、ステージ上で仕事をする調律師さんの動向を観察することもないではありません。
もちろん、開場後の演奏開始までの時間と休憩時間、いずれも調律師がまったくあらわれないことも多いので、この楽しみは毎回というわけではありませんが、ときたま、開演ギリギリまで調律をやっている場合があり、これをつぶさに観察していると、だいたいその日の調律師の様子から、その後どういう行動を取るかがわかってきます。
開場後、お客さんが入ってきても尚、ステージ上のピアノに向かって「いかにも」という趣で調律などをしている人は、ほぼ間違いなく休憩時間にも待ってましたとばかりに再びあらわれて、たかだか15分やそこらの間にも、さも念入りな感じに微調整みたいなことをやるようです。
ある日のコンサート(ずいぶん前なのでそろそろ時効でしょう)でもこの光景を目にすることになり、この方は以前も見かけた記憶がありました。
開演30分も前から薄暗いステージで、ポーンポーンと音を出しては調律をしていますが、開演時間は迫るのに、一向に終わる気配がないと思いきや、もう残り1分か2分という段階になったとき、あらら…ものの見事に作業が終わり、テキパキと鍵盤蓋を取りつけて、道具類をひとまとめに持って袖に消えて行きます。…と、ほどなく開演ブザーが鳴るという、あまりのタイミングのよさには却って違和感を覚えます。
前半の演奏が終わり、ステージの照明が少し落とされて休憩に入ると、ピアノめがけてサッとこの人が再登場してきて、すぐに次高音あたりの調律がはじまりますが、こうなるとまるでピアニストと入れ替わりで出てくる第二の出演者のような印象です。
面白いのはその様子ですが、何秒かに一度ぐらいの頻度でチラチラと客席に視線を走らせているのは、あまりにも自意識過剰というべきで、つい下を向いて小さく笑ってしまいます。
あまりにもチラチラ視線がしばしばなので、果たして仕事に集中しているのか、実は客席の様子のほうに関心があるのか判然としません。
調律の専門的なことはわからないながらも、出ている音がそうまでして再調律を要する状態とも思えないし、その結果、どれほどの違いが出たとも思えません。
この休憩時もフルにその時間を使って「仕事」をし、15分の休憩時間中14分は何かしらピアノをいじっているようで、まあ見方によっては「とても仕事熱心な調律師さん」ということにもなるのでしょう。
コンサートの調律をするということは、調律師としては最も誇らしい姿で、それを一分一秒でも多くの人の目にさらして自分の存在を広く印象づけたいという思惑があるのかもしれませんが、何事にも程度というものがあって、あまりやりすぎると却って滑稽に映ってしまいます。
もちろんそういう俗な自己顕示には無関心な方もおられて、マロニエ君の知るコンサートチューナーでも、よほどの必要がある場合は別として、基本的にはお客さんの入った空間では調律をしないという方針をとられる方も何人もいらっしゃいます。
だいいちギリギリまで調律をするというのは、いかにもその調律は心もとないもののようにマロニエ君などには思えます。ビシッとやるだけのことはやった仕事師は、あとはいさぎよく現場を離れて、主役であるピアニストに下駄を預けるというほうが、よほど粋ってもんだと思います。
どんな世界でもそうでしょうが「出たがり」という人は必ずいるようで、これはひとえに性格的な問題のようですね。