アップライトの音

アップライトピアノの音というのは、個々のモデルで多少の違いはあるのは当然としても、基本的なところでは楽器としての構成が同じだからか、ある意味どれも共通したものを感じるところがあります。

また、国産ピアノで云うなら(あくまで大雑把な傾向として)より上級モデルで、且つ製造年が古い方が潜在的に少しなりともやわらかで豊かな音がするのに対し、スタンダードもしくは廉価品、新しいモデルではよりコストダウンの洗礼を受けたものほど、キンキンと耳に立つ、疲れる感じの音質が強まっていくように感じます。

とくに、もともとの品質が大したこともなく、さらに状態の悪いものになると、ほとんどヒステリックといっていいほどの下品な音をまき散らし、ハンマーの中に針金でも入っているんじゃないだろうかと思ってしまいます。
もしも、こういうピアノを「ピアノ」だと思って幼い子供が多感な時期を弾いて過ごしたとしたら、本来の美しい音で満たされる良質のピアノに触れて育つ子供に比べると、両者の受けるであろう影響はきっと恐ろしいほどの隔たりとなるでしょう。

もちろん大人でも同様ですが、子供の方がより深刻な結果にあらわれると思います。
食べ物の好みや言葉遣い、礼儀などもそうですが、幼くして触れるものは計り知れないほど深いところへ浸透し、場合によってはその人が終生持ち続けるほどの基礎体験となることもあるわけで、これは極めて大切な点だと思います。

…それはともかく、国産の大手メーカーのアップライトでいうと、せいぜい1980年代くらいまでの高級機は、今よりもずっと優しい音をしていたと思います。これはひとえに使っている材質が良いとまでは云わないまでも、いくらかまともなものだったし、さらには人の手が今よりいくぶんかかっていたから、そのぶんの正味のピアノにはなっていたのかもしれません。

少なくとも、無理を重ねてカリカリした音を作って、いかにも華やかに鳴っているように見せかけるあざといピアノを作る必要がなかったように思います。ダシをとるのにも、べつに高級品でなくても普通の昆布や鰹節を使って味を出すのと、粉末のダシをパッとひとふりするのとでは、根本的にどうしようもない違いが出るのは当然です。

今はネットのお陰で、いろんなピアノをネット動画で見て聴くことができますが、パソコンの小さなスピーカーというのは意外にも真実を伝える一面があるし、さらに信頼できる良質なスピーカーに繋げば、ほぼ間違いないリアルな音を聞くことができて、あれこれと比較することも可能になりました。

そこで感じたことは、マロニエ君は偏見抜きに自分の好みは少し古いピアノの出す音であることがアップライトに於いても確認できました。もちろん、いつも云うように、あくまでも良好な調整がなされていることが大前提なのはいうまでもなく、この点が不十分であれば古いも新しいもありません。

ただ、現実には大半の個体は調整が不充分で、そういうアップライトピアノには、たとえ高級品であっても一種独特の共通した声のようなものがあり、おそらくは構造的なものからくるのだろうと思いますが、それは状態が悪いものほど甚だしくなるようです。

当たり前のことですが、素晴らしい調整は個々のピアノ本来の能力を可能な限り引き出して、人を心地よく喜びに満たしてしてくれますが、これを怠るとピアノはたちまち欠点をさらけ出し、なんの魅力もないただの騒音発生機になってしまいます。

その点では、誤解を恐れずに云うなら、グランドはまだ腐ってもグランドという面がなくもないようで、アップライトの方が調整不十分による音の崩れは大きいように感じます。そこが潜在力として比較すると、グランドのほうがややタフなものがあるのかもしれません。

そういう意味では常に好ましく美しく調整されていることが、アップライトでは一層重要なのかもしれないという気もしないでもありません。

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