インゴルフ・ヴンダー

過日のアヴデーエワでの落胆に引き続いて、NHKのクラシック倶楽部ではインゴルフ・ヴンダーの日本公演から、紀尾井ホールでのモーツァルトのピアノソナタKV.333が放送されており、録画を観てみましたました。

放送そのものはアヴデーエワのリサイタルよりも前だったようですが、マロニエ君が観るのが遅くなったために、こちらを後に続くかたちになったわけです。

このソナタは、出だしの右手による下降旋律をどう弾くかがとても大切で、マロニエ君なら高いところから唐突に、しかもなめらかに降りてくる感じで入ってきて、それを左が優しく受け止めるように、繊細でこわれやすいものを慈しむように弾いて欲しいと願うところですが、いきなり不明瞭で、デリカシーも自然さもない、なんとも心もとないスタートだったことに嫌な予感が走りました。

その後もこの印象は回復することなく、安定感のない、ひどく恣意的なテンポに満ちた美しさの感じられないモーツァルトを聴く羽目になりました。
驚くべきは、ヴンダーはモーツァルトと同じくオーストリアの生まれで、しかも2010年のショパンコンクールでは堂々2位の成績を収めた、かなり高い戦歴を持つピアニストです。

少なくとも、昔ならいやしくもショパンコンクールの上位入賞者というのは、好き嫌いはともかく、世界最高のピアノコンクールの難関をくぐり抜けてきた強者にふさわしい高度な実力を備えており、それなりの演奏が保証されていたように思いますが、最近はそういう常識はもう通用しなくなったのかもしれません。

モーツァルトのソナタをステージで演奏するには、音数が少ないぶん、他の作曲家の作品よりも明確な解釈の方向性を示し、そのピアニストなりに磨き込まれた完成度の高い演奏が要求されるものですが、ヴンダーの演奏は、いったい何を言いたいのかさっぱりわからないし、技巧的にも安定感がなくふらついてばかりで、好み以前の問題として、プロのピアニストの演奏という実感がまるでありませんでした。

テンポや息づかいにも一貫性がなく、フレーズ毎にいちいち稚拙なブレスをする未熟な歌手のようで、聴いていて一向に心地よさが感じられず、もどかしさと倦んだような気分ばかりが募ります。
また、ヴンダーに限ったことではありませんが、マロニエ君はまず楽器を鳴らせない人というのは、それだけで疑問を感じますし、墨のかすれた文字みたいな、潤いのない音ばかりを平然と連ねることが、思索的で知的な内容のある演奏などとは思えません。

ひと時代前は、叩きまくるばかりの運動系ピアニストが問題視され軽んじられたものですが、最近はその逆で、まずは自然な音楽の呼吸と美しく充実した音の必要を見直すべきではないかと思います。
音色のコントロールというのは様々な色数のパレットを持っていて、必要に応じて自在に使い分けができることですが、ヴンダーなどは骨格と肉付きのある豊かな音がそもそも出ておらず、いきおい演奏が貧しい感じになってしまいます。

本来、ピアニストともなると出てくる音自体に輪郭と厚みと輝きが自ずと備わっており、それひとつを取ってもアマチュアとは歴然とした違いがあるものですが、近ごろはタッチも貧弱、音楽の喜怒哀楽や迫真性もなく、ただ訓練によって外国語が話せるように難しい楽譜が読めて、サラサラと練習曲のように弾けるというだけの人が多く、音色的にはほとんどアマチュア上級者のそれと大差ないとしか思えないものです。

アヴデーエワ、ヴンダー、ほかにもトリフォノフなどを聴いていると、もはやコンクールそのものの限界がきてしまっているというのが偽らざるところで、そういえば一流コンクールの権威もとうに失墜してしまっているようですね。これからは、なにかの拍子に才能を認められて世に出てくるような異才の持ち主などにしか芸術家としての期待はもてない気がします。

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