日常生活の中には、あらためて言葉にすれば大したこともなくても、どうしようもなく嫌なことというのがあるものです。
こういうものは日常茶飯で、しかもその数はひとつやふたつではありませんが、特段の重要事項でもないために、すぐに忘れてしまうのが特徴です。
たとえばマロニエ君がすぐ思い出すのは、スーパーなどにあるカートの不具合があります。日常的に繰り返される酷使のせいで、下部に取りつけられたゴムのキャスターにガタや不揃いが出て、動きに変なクセがついてしまい、ついには利用者の思い通りにはまったく動かなくなってしまっているのがありますが、あれがとても苦手です。
とくに真っ直ぐ進みたいときに、この手のカートがまるで自分の意志でもあるかのように左右いずれかへ猛烈にステアしようとして、利用者は思いがけないカートの反抗に遭い、買い物中は終始この身勝手な動きと格闘し続けなくてはなりません。
多くの人がそうだと思いますが、曲がることが苦手なことよりも、シンプルな直進が思い通りにならず勝手に左右に行こうとするのを絶えず修正しながら前進するというのは、神経を逆撫でされるようで、しだいに腹立たしくなってくるのです。
クルマでも曲がりのハンドリングが痛快なことは重要ですが、まずは安定した直進性が確保されていないことには、ほとんど意味を成しません。
このじゃじゃ馬のようなカートに当たったが最後、不愉快で慣れるということはなく、イライラは募り、少しでも早く買い物を済ませて店を出たくなるもので、勢い余計な買い物もしなくなります。
ごく稀に新しいカートに入れ換えられたり、あるいは一部追加されたりすることがありますが、やはり新しいものは心地よく、スムーズで難なく使用者の思い通りに動いてくれるので、お店の印象まで無意識のうちに変えてしまうようです。
かくてマロニエ君はカート選びはできるだけ慎重にするように心がけていて、2〜3m動かしてダメだと感じたら引き返して別のカートに交換ということもします。それでも、どれもこれもがなかなか思い通りにならない場合があり、どうしようもないときは、カートと格闘するのが嫌なので、最後は押すのではなく、引っぱるように使います。
人によってはいかにもくだらないことのように思われるかもしれませんが、こういうことは気になる人にとってはかなりのストレスになるので、マロニエ君は決して軽視しないようにしています。
それでも所詮はスーパーの買い物時間中ぐらいだから事は重要でないまま終わりますが、これがもし、毎日数時間使わなくてはいけない道具だとしたら、きっと多くの人の神経にはかなり深刻な悪影響があるに違いないと思います。
経費節減がなにより優先される折、なかなかこれが刷新されることはありませんが、できることなら定期的に入れ換えて欲しいものです。
たかがカート、されどカート、素直じゃなきゃいけません。