半額CD3点

全国的なヤマハ・ピアノショールーム縮小の流れに伴って、福岡では博多駅前の大きなヤマハビルが閉じられ、その一階にあった広いピアノサロンもなくなってしまいました。

その余波で、天神のヤマハ福岡店では、1階はアップライトピアノ/電子ピアノ/管弦楽器などの売り場、2階は楽譜や書籍はそのままに、残りスペースがグランドピアノの展示場スペースとなり、ピアノサロンから引っ越してきたとおぼしき大小のグランドが6〜7台並ぶようになりました。

グランドピアノが大挙してやってきたためにCDの売り場が行き場を失ったらしく、今後CDは注文販売のみという紙が壁に貼られていました。
ここに並んでいた大量のCDは各メーカーに返品などの処置をとられたのかどうか知りませんが、一部のCDがワゴンセールに投じられ、これが一斉に半額になっているので覗いてみると、通常ならまず買わないであろう未知の日本人演奏家の3000円級のCDがあったので、これ幸いと買ってみることにしました。

以下3点、購入して聴いてみた雑感です。

(1)『恩田文江ライヴ・イン紀尾井』レーベル:ガブリエル・ムジカ 定価3000円
2009年に行われた紀尾井ホールでのライブで、ショパン:幻想ポロネーズ/アルベニス:「イベリア」からトリアーナ/メシアン:「幼子イエズスにそそぐ20のまなざし」より/ラヴェル:夜のガスパール/その他というもの。ライヴというタイトルから期待されるような一過性の熱気は感じられず、むしろ固い感じの演奏。冒頭の幻想ポロネーズが始まって早々、その慎重さは全体を予感させるもので、一通り聴き進むもその印象は変わらない。これといって明確な欠点もないきれいに整った演奏といって差し支えないが、この人なりの個性も感じられない、平均化された演奏だという印象。変化に富んだプログラムなのに、なぜかどの曲も同じように聞こえてしまうのは、作品への踏み込みと音楽に欠かせない即興性が不足しているからだろうか。聴衆に対して美しい音楽を魅力的に奏することより、ひたすらミスをしないよう安全運転に努めているようで、結果として匿名的な演奏がそこにあるだけ。録音も平凡なもので、ピアノテクニシャンは有名な方のようだが、このホールやピアノの良さもあまり出ていないように感じた。

(2)『ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番、第31番、第32番 澤千鶴子(ピアノ)』カメラータ・トウキョウ 定価2940円
まったく知らないピアニストだったが曲がいいことと、ジュディ・シャーマンという有名プロデューサー(らしい)がおこなったアメリカでの録音ということで興味がわいて購入。ライナーノートではさる音楽評論家が言葉を極めて澤さんの演奏を褒めちぎっているが、残念ながらあまり同意できなかった。全体に、ひと時代もふた時代も前の日本人によくあった演奏で、アーティキュレーションなどがいかにも和風テイスト。リズムも一拍一拍を肩で取っているようで、この最後の3つのソナタの高度な精神世界を、演奏を通じて再構築できているとは思えなかった。ただしマロニエ君にとってはこのCDの価値は結果としてその音にあったわけで、自然で躍動的、親密なのに開放感に満ちた録音の秀逸さにはかなり感心させられ、優秀なプロデューサーが統括するとはこういうことかと感じ入った。ピアノは現代のニューヨーク・スタインウェイだが、響きがやわらかいのに輪郭がくっきりしており、珍しく木の響きのするスタインウェイで、最もベーゼンドルファーに近いスタインウェイという印象。

(3)『小林五月 シューマン・ピアノ作品集 幻想曲/フモレスケ』ALMレコード 定価2940円
近年、日本人でシューマンに取り組んでいるピアニストということで名前は聞いたことがあったが、演奏は未聴だったため、どんなものかと購入。果たして幻想曲の冒頭からいきなりぶったまげた。これほど何憚ることなく盛大に泥臭いシューマンを聴いたのは生まれて初めてで、これを個性だと言い通すことができるのか甚だ疑問。終始、粘っこく一音一音を力ずくで地面に押し込むようで、マロニエ君の理解からは著しくかけ離れた演奏。ライナーノートも抽象論の羅列で意味不明。もしこの人のシューマンが価値の高いものだと考える人がいるなら、皮肉でなしにぜひともそれを教えて欲しいと思う。この人は作品に込められた何かを表現しようとしているのかもしれないが、音楽には流れや呼吸があるということは完全に除外されている気がする。最近の人では珍しくタッチが深いピアニストと云えなくもないけれど、同時にほとんど音色やデュナーミクのコントロールはないに等しく、ところ構わず強いタッチで鳴らしまくるのは、人一倍繊弱な感性を持ったシューマンが聴いたら一体どう感じるだろうか?録音とピアノは共に非常に好ましいものだと感じるだけに残念。

〜というわけで、今回のバクチ買いはほとんどヒットらしいものがなく、失敗の巻となりましたが、強いて言うなら澤千鶴子さんのCDはそのすばらしい録音を聴くだけなら、一定の値打ちがあったと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です