天才の魔力

BSプレミアムシアターの後半で、カルロス・クライバーのドキュメント映像が2本続けて放映されました。

彼の死後に、彼とかかわった音楽家をはじめとする、さまざまな人物の証言をもとに構成されたドキュメンタリーです。近ごろの流行なのか(といっても何年も前の制作ですが)、あまりにも各人のコメントは小さく切り刻まれて、ほとんど数秒ごとにめまぐるしく映像が入れ替わりせわしないといったらありません。これがある種の効果を上げているのかもしれませんが、字幕スーパーを読むだけでも後れを取らないようついて行かざるを得ず、およそゆったり楽しむというものではないのが個人的には残念です。

実は、この作品は2つともすでにマロニエ君は見ていたもので、DVDとしても保存しているのですが、レコーダーに自動的に録画されていて、消去するにしても、その前にちょっと出だしを見てみたら、もうだめでした。とうとう止めることができずに2つとも最後まで見てしまいました。

いまさら言うようなことではない、わかりきったことではあるけれど、それでも言わずにはいられないのは、やはりカルロス・クライバーは真の特別な天才でした。天才というだけではなく、他に類を見ない魅力、ほとばしるオーラ、その音楽の水際立った躍動と繊細、活き活きとした美しさは圧倒的で、これぞ空前絶後の演奏家だったことをいまさらながら痛感させられました。

残された数少ない映像からは、彼のしなやかな、その動きそのものが音楽の化身のような優雅でエネルギッシュで美しい指揮ぶりが記録されています。もし彼が生きていて、ヴィンヤード式のホールでコンサートが聴けるなら、マロニエ君は躊躇なく彼とは向かい合わせになる席を取るでしょう。

クライバーは天才特有の、気まぐれでわがままな人物としても有名で、コンサートも世界中のオファーを頑なに断り続けることでも有名でした。しかし、あの尋常ではない全力を尽くした指揮ぶり、とりわけリハーサルにかける猛烈なエネルギーと要求を見ていると、これはもう並大抵のものではなく、こんなことはそうそう日常的に続けられるものではないということを直感させられます。

カルロスのお姉さんが話していましたが、彼はコンサートやオペラが終わるたびに、まるでお産をしたように痩せこけていたというのですが、それも容易に頷ける気がします。自分のエネルギーを全投入して演奏に挑むものの、毎回必ずオーケストラや歌手達がそれに応え切れるとも限らず、そこで妥協をし中途半端な折り合いをつけるのが嫌だったのでしょう。もっと正確に云うなら、彼の薄いガラスのような繊細な神経が自分が承知できない演奏をすることに到底耐えられなかったのだと思います。

こういう純粋さを、世間はわかっているようでわかっておらず、結果的には我が儘とか気難しいという単純なレッテルを貼り付けてしまうようです。
そのかわり、やる以上はまさしく全身全霊を尽くした完全燃焼の奇跡的な演奏だったことが偲ばれます。

ちょっと思い出したのが作家の故・有吉佐和子女史で、彼女も執筆に関しては炎のような意志と情熱を注いで仕事に打ち込み、一作書き上げる毎に療養のためしばらく入院する必要があったといいますから、どんな世界でも本物はそのような狂気と背中合わせの危険地帯で自分の仕事(というよりも天命)に奉仕しているものだということがわかります。
こういう危険地帯に身を置き、我が身の犠牲を厭わず、一途に芸術に奉仕するといったタイプの人はたしかに激減してしまいましたし、だから一昔前までの芸術家は本物だったと思います。

クライバーの演奏は、その断片に接しているだけでもその魔力に痺れていくようで、しばらくは他の演奏が受けつけられないほどの強烈な魅力にあふれています。
番組も終わりに近づくころ、クライバーの眠る墓地の映像が映し出され、流れる音楽はベートーヴェンの交響曲第7番の第二楽章でしたが、興奮さめやらぬまま番組は終了、その続きがどうしても聴きたくなり、部屋に戻るなり手短にあったブロムシュテットの同曲を鳴らしてみたところ、マロニエ君の耳の感覚というか細胞がクライバーに染まった直後だったために、普段はそこそこ気に入っている演奏が、まるで気の抜けた、緩みきっただらしない音楽のように感じられてしまったのは驚きでした。

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