それから

「それから」なんて漱石の小説のようですが、ぜんぜん別の話です。

昨年はひょんなことから筒状の無指向性スピーカーの魅力に取り憑かれ、知人にいくつも自作して楽しんでいる趣味人がいたことも後押しとなり、これまで自分でスピーカー作るなど考えたことさえなかったにもかかわらず、マロニエ君としてはなんとも無謀な挑戦をしてみることになりました。

その顛末は何度も書いていますから、ここでは繰り返しませんが、その間の、とくに2ヶ月ぐらいは一途にこれに熱中、ピアノにもほとんど触れず、毎夜そのための制作と情報収集に励んでいました。

我ながら、仕事や勉強もこれぐらいやれたら…と思うほどの熱の入れようで、使用するスピーカーユニットの選定はじめ、あらゆるものに拘り、時間の許す限りその方策と調達などにエネルギーを注ぎ込んでいました。
この時期はまさにスピーカー制作一筋でしたが、とくにスピーカーがまずは形を成し、音の調整をするようになってからが大変で、集中すべき次元がガラリと変わり、目指す音へ少しでも近づけるべく試行錯誤の繰り返しに明け暮れました。わずかの変化や効果を狙って、なんど分解と組立を繰り返したかしれません。

その結果、ある一定のところ(レベルは低いですが)まではなんとか到達できたものの、同時に超えがたい限界をも感じました。所詮はシロウトの手すさびというべきで、冷静に考えれば、ものの道理から云っても初作からいきなり満足できるようなものができる筈がないし、それを望む方がそもそも無理だという、ごく当たり前のことを悟りました。

無指向性スピーカーの特徴である演奏会場のような音の広がりはあるものの、音には艶やかさも分離感もなく、こもったような、それでいて薄っぺらなサウンドは到底満足できるものではなく、このジャンルの最高峰であるYoshii9などには、遠く及ぶべくもないことを痛感させられました。

これが根っからのオーディオマニアなどであれば、そこからまた果敢に挑戦を繰り返すところでしょうが、マロニエ君の場合そもそもが自分の領域外のことを勢いでやってみたまでで、疲労困憊、もうこれ以上はもう結構、やりたくないと思いました。

それいらい次第にこのスピーカーからも関心が遠ざかり、しまいには部屋に置いておくだけでも転倒の心配もあり(厚みのあるアルミ管を使い、中は鉄のウェイトなどが入っているため重量もそれなりで危険性もあり)、邪魔になるというので、ついには普段使わない部屋の隅っこへと撤退させられてしまいました。

それから数ヶ月間、一時はあれほどの心血を注いだ自作スピーカーは無用の長物として、音を出すこともなくただの邪魔な物体として放置されたままでしたが、わけあって家の中の整理や片づけが契機となり、自室にこれを運び込み、場所を変えてもう一度聴いてみようかと思いつきました。

狭い自室の中になんとか場所を確保して、久しぶりに線を繋いで音を出してみますが、基本的にはやはり以前の状態のままで、やっぱり場所の問題ではありません。しかし、今回は腹を括ってしばらくこのスピーカーと付き合ってみることにしたわけです。
自室では毎夜音楽を聴かないことはまずないので、とにかく毎日続けて一定時間鳴らすことになりますが、すると驚いたことに、だんだん音が鳴るようになってきたばかりか、音の分離感や色彩感もこちらがほぼイメージしていたように少しずつですが出てきたのは嬉しい驚きでした。
少なくとも作った当初とはまるで別物のような、まあまあの繊細なサウンドで鳴るようになってきたことは、まったく楽器と同じだと思わないわけにはいきません。これがオーディオでいうところのエージングというものなのかとちょっと感動してしまったわけです。

手前味噌で恐縮ですが、今の状態ならば、それなりに満足が得られるもので、知識も経験もないクセして、寄せ集めの情報だけで、あれだけ拘り抜いて作った甲斐があったなぁと思いました。
同時にスピーカーでも楽器でも、音の出るモノは(デジタルアンプはどうだかわかりませんが)、いずれも数ヶ月間はそれを本来の性能とは思わずに、慣らしのつもりで付き合わなくてはならないことをしみじみと教えられたような気がしています。

子供の成長ではありませんが、時を経て音がだんだん良くなっていくというのは、実に嬉しいものです。

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