自作の円筒形スピーカーが、知らぬ間に熟成されて好ましく変化してくれていたのは、まったく予想外のことで、思いがけない贈り物をもらったような嬉しさがありました。
とくに、失敗作だという認識でそれ以上の調整を一切放棄し、さらには目につかないところへ放逐してしまった後の変化だったので、オーディオとはこんな一面があるのかということを認識させられる良いチャンスにもなったのは事実です。手の平を返したように殊勝めいたを言うようですが、この自作スピーカーは、情報収集から材料の調達、組み立て、チューニングにいたるさまざまな過程を経験させられ、音に関する実に多くのことを勉強させてくれたのは間違いありません。
とりわけスピーカーというものがボリュームやパワーでなく、響きそのものが作り出す音響や分離、ダイナミクスのバランス、その他もろもろの要素やそれらの均衡がいかに大切かということも良くわかりましたし、プレーヤーのこと、アンプのことなど、周辺の事情も含めてマロニエ君の無知な部分を一気に埋めることができました。
とはいえ、今だって多くはなにも知らない穴ぼこだらけで、無知なことに変わりはありませんが、それでも知らずに終わっていたであろうことを、いろいろと経験的に知り得たのは素直に収穫だったと思います。
もともと音楽は好きでも、オーディオにはほとんど関心のなかったマロニエ君は、オーディオ装置は何でも良いと云えばウソになりますが、そこそこ好みのいい音が出てくれさえすれば、あとはもっぱらCDを買い漁るほうが主眼で、少しでも良いオーディオ装置に投資しようという考えがまるで欠落していたように思います。
それでも1階のピアノのある部屋には、わからないながらも一応それなりのオーディオ装置を置いてはいますが、それもずいぶん昔買ったもので、とくに満足もなければ不満もないというクチでした。さらに自室のオーディオに至ってはヤマハの中級のコンポのセットで、これを疑いもなく使い続けて、そこからいろいろな音楽や演奏を楽しんでいたのですが、それをどうこうしようという意志も意欲もなく、根底にはオーディオは電気製品という感覚があったのかもしれません。
そんなマロニエ君のオーディオ生活にトラックが飛び込んできたような一大事件が起こったのが、我が家のピアノの主治医のお一人である技術者さんが、Yoshii9なる未知のスピーカーセットをわざわざ持参して聴かせてくださったことでした。
目からウロコとはこのことで、従来とはまったく違ったナチュラルな音の広がりで聴かせるこのミサイルみたいな形をしたスピーカはまさにマロニエ君にとってのオーディオ上のカルチャーショックでした。
演奏者が今まさに目の前で演奏しているような、その自然さそのものがもたらす美しい音は、これまでのハイパワーアンプとそれを受け止めるスピーカーによって豪快に鳴らすことを良しとしていた価値観を、根底からひっくり返すものだったのです。
Yoshii9をすんなり買えればなんのことはなかったわけですが、少々お高いこともあってなかなか手が出ず、その代用の意味もあって自作スピーカーへの道を進むことになりました。その過程で驚くばかりに高性能かつ低価格の中国製デジタルアンプの存在も知ることにもなり、さらには優れたスピーカーコードとは何か、好ましいCDプレーヤとは何かといった、個別の要素の真相などを正に一から教えられることにもなりました。
わざわざ仕組んだわけではありませんが、現在のマロニエ君の自室のオーディオは、いつの間にか(ほんとうにいつの間にか!)ヤマハのコンポはすべて姿を消していて、代わりに自作のスピーカー、中国製デジタルアンプ、そして過日書いた記憶のあるDVDプレーヤーの「3本の矢」で構成されていますが、こんな一見めちゃくちゃな、なんの一貫性もない装置の寄せ集めによって、結果的に従来よりもはるかにクオリティの高い、聴いていて楽しい音響空間になったのですから、いやはや自分でも驚くしかありません。