紹介の弊害

前回の続きみたいな内容です。

どんな場合にもある程度当てはまることですが、ある程度の金額のものを買ったりする場合、人の紹介があれば、それがない場合よりも安くしてもらえるとか、なんらかの好条件がもたらされるというイメージがあって、それを信じて疑わない人というのはわりと多いように思います。

しかし、あるころから、これは好条件どころか、むしろまったくの逆の現象が起きているのではないかというふうに疑い始めるようになり、その認識は時間や経験と共に深まっていきました。
一例を挙げますと、(車の購入の場合はわりに以前から云われていることですが)仮に車を購入する際の値引きの条件などでも、紹介者があると、営業マンはニンマリした顔で「○○様のご紹介ですから」といった尤もらしいフレーズに乗せて一定の割引などが提示されるようですが、実は少しもそれに値するような金額ではない場合が珍しくないのです。
むしろ、紹介者なしの飛び込みで、単独で交渉してもこの程度の条件は当たり前では?…と思えるようなものでしかないことはよくあります。

これらは、友人なども同様の一致した見解なのですが、紹介者があるということは、業者側にとっては幸運が勝手に飛び込んできたような美味しい話で、さほどの努力をしなくても紹介者との繋がりが後押しとなって、ほぼ間違いなく買ってくれる安全確実な客だと見なされることが多いようです。
購入者にしても、紹介者の顔を立てて、他店と競合させることもせず、受身で、お店にすればこんなありがたいことはないのです。

しかもお客さんは「自分は紹介者のお陰で特別待遇」だと疑いなく思い込んでいる場合もあるのですから、その認識のまま事が完了すれば、関係者全員がハッピーということでもあり、これはこれで悪いことではないのでしょう。でも、ひとたびそのカラクリに気がついてしまったらとてもやってられません。

自分に置き換えてもそうですが、ある程度値の張るものを購入するとか、何らかの仕事を依頼したりする場合、そこに紹介者が介在していると、紹介者の顔をつぶしちゃいけないという配慮が先に働いて、あまり突っ込んだ交渉はしなくなります。というか、ハッキリいってできなくなります。
そして、相手側はその道のしたたかなプロですから、そのあたりのことは十分に承知していると思われ、だからごく普通の条件でもさも特別であるかのように口では上手く言いますが、実際はさほど努力らしきことをしているようには見受けられないわけです。

こういう嫌な現実に気付いてからというもの、マロニエ君は(場合にもよりけりですが)基本的には紹介者とか、縁故というものを頼りにしなくなりました。
そのほうが遙かに自分のペースで自由に交渉ができるし、率直な質問や要求を提示することができるし、おかしいことはおかしいと主張して、もしそれで決裂すれば他店をあたったりすることも自由ですが、そこに紹介だの縁故だのがあると、すべてこちらはガマンして呑み込むしかありません。
だから、もちろん例外はありますが、大半は紹介なんてものは却って自分の足を引っぱるとしか思えなくなりました。

そもそも、業者やお店の側も、考えたらわかることですが、仲の良いお客さんから知り合いを連れてきてもらうことは、労せずして信頼関係は半分以上できあがっているようなものです。それに比べれば、まったく縁もゆかりもない初めて取り引きする相手をきちんと納得させ、交渉成立に結びつけるほうが遙かに骨の折れる仕事でしょうし、油断すれば遠慮なく去っていきますから、きっと緊張感も違う筈です。

結果的に、信頼できる相手であるほうが、却って条件が悪くなるという結果を見てしまうのは、非常に残念なことだと思いますが、これが現代という殺伐とした時代に流れる真実なのだと思うと、自分を守ろうとする認識と本能の前で、どことなくやりきれない思いが混ざり込んでしまいます。

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