ベヒシュタインウェイ?

読む人が読めばわかるでしょうから、大した意味もないとは思いつつ、それでも敢えて名前は伏せますが、さる日本人のイケメン(という事になっているらしい)男性ピアニストが、いまベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音進行中で、先ごろ最後の3つのソナタが発売になったようです。

マロニエ君はピアノの音を聞くのが目的で、興味のない演奏家のCDをしぶしぶ買うことがありますが、この人のCDとしては、以前、日本のあるピアノ会社所有のニューヨーク・スタインウェイで演奏したということで、ラヴェルのコンチェルトと夜のガスパールなどのアルバムを買ったことがありました。
そのどことなく幼稚な演奏にはあれれ?とは思ったものの、その時は正味のピアニストというよりも、どちらかというと女性人気から売り出した観のある人だったので、まあこんなところだろうぐらいに思ったものでした。

そんなアイドル系ピアニストの弾くベートーヴェンの最も神聖なソナタなど、普通ならまず絶対に寄りつきもしないところですが、それに寄りつくハメになりました。
この人は、一時期は非常に癖のあるニューヨーク・スタインウェイをコンサートにも録音にも愛用していて、自らその楽器のことをF1などと呼びながら、ネット上にそのピアノを褒め称える文章まで書いていたほどでしたが、しばらくするとパッタリそのような気配はなくなり、録音も常套的なハンブルク・スタインウェイでおこなっているようでした。

ところが、現在のベートーヴェンのソナタ録音にあたっては、なんとベヒシュタインのD280を使用ということで、えらく大胆な方向転換をしたものだと思いましたが、ベヒシュタインで弾くベートーヴェンというのは、バックハウスが晩年におこなったベルリンでのコンサートライブでそのマッチングの良さに感嘆感激していたので、その強烈なイメージがいまだにあって、どうしても聴いてみたくなりました。

とはいえ価格は例によって割引適用無しの3000円で、そこまでして買うのもアホらしいような気分だったのですが、たまたまネット上で見かけたこのCDのレビューによれば、以前はこのピアニストのことをある種の偏見を持っていたけれども、人から進められて聴いてみると、本当に素晴らしい演奏云々…という激賞文でもあったため、ついついマロニエ君も少しばかりのせられてしまいました。

そうは云っても、以前の経験があるので、演奏には過度の期待はしていませんでしたが、まあ音を楽しむぐらいのものはあるのだろうという程度の気持でついに購入してしまいました。やはりどうしてもベヒシュタイン&ベートーヴェンが紡ぎ出すあの感激を現代の録音で聴いてみたい!という欲求に負けたというわけです。

しかし、結果はまったくの失敗で、アーできるものなら返品したい…と思うばかり。
むかし買ったラヴェルの印象がそのまま生々しく蘇るようで、この人はなんにも変わっていないんだなと思うと同時に、曲が曲であるだけに、いっそう分が悪い感じです。
彼はいま何歳になるのか知りませんが、ただ指の動く学生が音符の通りに平面的に弾いているようで、この世の物とは思えぬop.111の第二楽章の後半など無機質な指練習のようで唖然。

ピアノは上記の通りベヒシュタインのD280ですが、どちらかというと普通で、期待したほどベートーヴェンでの相性の良さは感じられませんでした。このピアノはよくよく考えてみると、おそらくはマロニエ君も一度触れたことのある「あのピアノ」だろうと今になって思われます。伝統的なベヒシュタインのピアノ作りを大幅に見直して、今風のデュープレックススケールを装着した新世代のベヒシュタインですが、あきらかにメーカーには迷いのあるピアノだと当時感じたことを思い出しました。

ベヒシュタインほどの老舗ブランドであるにもかかわらず、スタインウェイ風の華やかな音色とパワーをめざしたのでしょうが、結局はこのメーカーの個性を大幅に削り取ったピアノになっているとしかマロニエ君の耳には聞こえませんでした。バックハウスがベルリンで弾いたのは、Eという古いモデルで、その後のENを経て、現在のD280になりますが、モデル表記もまるでスタインウェイのD274そのままで、もう少し工夫はなかったものかと思います。

しかし、逆にいうと、ベヒシュタインと思うから不満も感じるわけで、一台のコンサートグランドとして素直に聴いてみれば、これはこれでなかなか素晴らしいピアノだと思えるのも事実です。とくに過度に洗練されすぎていない点が好ましく、ドイツピアノらしい剛健さの名残なども感じて悪くないとも思いますが、いささかスタインウェイを意識しすぎた観が否めないのは惜しい気がします。

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