雨の夜

誰にでも、自分だけに不思議に心地よい、これといって明確な訳もないまま好む状況や時間というものがあるのではないでしょうか? 自分だけのある一定の条件が整うことで、取るに足らないささやかなことでも、そこにえもいわれぬ充足した幸福感のようなものを見出す瞬間。

まったくその人だけの固有のもので、普遍性の裏打ちも正当性もない、きわめて個人的主情的なものに限られます。なぜそれほど好ましく、心が安らいで満たされるのか、本人にさえ理由は漠としてよくわからないことが数こそ少ないけれどもあると思うのです。

マロニエ君の場合で云えば、仕事柄か、長年の生活習慣からか、ともかく慢性型の夜型人間なので、本当に自分の時間を持てるのは大抵真夜中の時間帯ということになります。
とりとめもないことをあれこれやっていると、その貴重な時間は瞬く間に過ぎ去って、人によってはそろそろ起床時間になるような時間帯を迎えることもしばしばです。

ここまでは特にどうということもない日常の範囲で、好きというよりも自分にとって必要なものという感覚です。ところが、そこへごくたまに格別な効果が加わることがあって、それがたまらなく好きなのです。

まるで今夜のように…。

それは深夜に降りしきる雨で、自室でようやく落ち着いた時間を迎えようと云うとき、あるいはその途中からでもいいのですが、漆黒の夜の中に雨が降り、カーテンごしの窓の外や屋根づたいにその雨音が聞こえる、あるいは明瞭にその気配が感じられることがあるのですが、その感じがどうしようもなく好きなのです。

そして、幸福の感触というものは、実はこんな取るに足らない、ふとしたどうでもいいような壊れやすいちょっとした瞬間のことをいうのではないかと思ったりするわけです。

ごくシンプルに、たわいもないことで、自分が心底から心地よさに浸ることのできる瞬間なんてものは、日常の中にそうざらにはありません。それも人生上の慶事などという実際的かつ大層なものではなく、さりげなくて、なんの意味もなくて、心地よさの感覚だけが突如として自分に降りそそいでくるような、そんな思いがけないものでなくてはなりません。同時にそれは、一時の儚いもので、いつまでも逗留してくれるようなものであってもダメなのです。

窓の外には雨が降りしきり、ときに激しい大雨になることもありますが、そんなとき、冬ならヒーターで温まり、夏ならエアコンで除湿された部屋の中で、誰からも邪魔されることのない自分だけの時間を過ごすこと。これがマロニエ君とってはちょっと比べるもののないほどの心地よさに取り囲まれるときで、ただもう無性に嬉しくて心地よい時になってしまいます。

このときばかりは、日頃の疲れやストレスもしばし忘れて、今時の云い方をすれば心がリフレッシュできているような気がします。だから日中の雨が夕方止んで、夜はお天気回復なんていうパターンが一番がっかりですし、逆に昼間はお天気だったものが夜から崩れて、深夜には大雨となり、そして翌朝は快晴というのが最も理想のパターンなのです。

人の心には、まったくくだらないことが、しかしとても貴重なようです。

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