語る演奏家

先のブログに関連することですが、N響定期公演でベートーヴェンの皇帝を弾いたポール・ルイスは、番組の冒頭でNHKのインタビューに答えていました。

いつごろからだかわかりませんが、昔に比べると、演奏者はインタビューに際してだんだんと音楽学者のような語り口になり、演奏作品について、より学究的な内容を披瀝するのがひとつの風潮であるように思います。
それも、一般の聴衆や視聴者に向けたものというよりは、自分は演奏家であるけれども単なる演奏家ではなく、音楽史や作曲家のことを常に学び、それらと併せて楽曲も深く掘り下げて分析し、しかる後に演奏に挑んでいるのですという姿勢。ただ単に曲を練習しているのではなく、それにつらなる幅広い考察を怠っていないのですよというアピールをされているように感じてしまうことがあります。

もちろんそこには個人差があり、どうかすると専門的な言及が行き過ぎて、ただ単に音楽を楽しんではいけないような印象さえ与えてしまい、逆にクラシックのファンが離れていくのでは?と感じるときも少なくありません。
そうかと思えば、近年流行りのトーク付きのコンサートでは、チケットを買って会場にやってきてくれたお客さんに向かって、ほとんどわかりきったような、いまさらそんな話を聞かされなくても…といいたくなるような初歩的な話を延々と繰り返したりで、どうせ話をするのなら、どうしてもう少し聞いていて楽しめる内容のトークができないものかと思うことがしばしばです。

つまり専門的過ぎるか、初心者向け過ぎるかの二極化に陥っているという印象です。

その点でいうと、この番組冒頭でのポール・ルイスの話はそれほど専門的なものではないのは救いでしたが、「誰でもこの曲を大きな音で弾いてしまうし、それはそのほうが楽だから」とか「協奏曲でありながら室内楽的要素が多く、そこに注意すべき」とか「オーケストラの中の一つの楽器とピアノの対話の部分が多い」など、いかにもブレンデル調の切り口だと思いました。しかし、それが皇帝という名曲の本質にそれほど重要なこととも思われないような事という印象でもありました。

そもそも、演奏家自ら曲目解説をするようになったのは、やはりブレンデルあたりがそのパイオニア的存在であったし、ポリーニや内田光子などを追うように、より若い世代の演奏家もしだいに専門性を帯びた内容に言及するようになり、それがあたかも教養ある演奏家であることを現すひとつのスタイルになっていった観は否めません。

そんな中にも、もう好いかげん聞き飽きた、すでに錆びついたようなコメントがあり、残念ながらポール・ルイス氏もそれを回避することはできなかったようです。
それは「ベートーヴェン(他の作曲家でも同じ)は演奏するたびに新しい発見があります。」というあのフレーズで、これはもはや演奏家のコメントとしては賞味期限切れというべきで、聞いていてなるほどというより、またこれか…としか思えなくなりました。

少し前のアスリートが、オリンピック等の大勝負を前にして「まずは自分自身が楽しみたい」などと、ほとんど決まり文句のように同じことを云っていたことを連想してしまいます。

往年の巨匠バックハウスが『芸術家よ、語るなかれ、演奏せよ』というけだし名言を残していますが、今はまるきりそういった価値観がひっくり返ってしまったのかもしれません。
『芸術家よ、語るべし、演奏する前に』…。

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