ウマ

離婚の理由などでよく耳にするのが「性格の不一致」という言葉ですね。
本当は広い意味の問題を、抽象的かつなんの工夫もない形式的な言葉に変換して、無造作にくくりつけただけのような、いかにも浅薄な響きを感じてしまいますが、実際には人と人との間に起こる非常に難しい永遠のテーマであるとも思います。

これは、べつに夫婦や恋人や友人でなくても、どんな場合でも、そこに人間関係が存在する以上、大小深浅の差はあれども必ずあり得るものです。

「性格の不一致」というと、まるで男女間限定の言い回しのような印象もありますが、別の言い方をすると人には「ウマが合う/合わない」という摩訶不思議で説明不可能なものがあり、これはいうまでもなく事の善悪や理屈を超えた生理的次元に属する問題なのかもしれません。そして、合わない場合はまずこれという解決策もないのが普通でしょう。
すぐに縁の切れる関係なら接触を断てばとりあえず解決ですが、嫌でも顔を合わせるしかない場所での関係になると、これほどきついことはなく、ひとたびこの淵に落ち込むとなす術がありません。

いっそ明確な落ち度や、分かりやすい善悪の裏付けなどがあればまだ救えるのでしょうが、そうでないところが辛いところ。ことさら悪いことをしているわけでもないのだけれど、ちょっとしたものの言い方とか、その人の癖、かもしだす負のオーラなどが無性に気に障ったりしはじめると、もう止めどがありません。

極端にいうなら、別の人がもっと酷いことをしても許せるのに、その人がすることは、客観的にはまったく大したことではないのに、どれもこれもが不快に感じたりする。そんなことで人に対する好悪の感情を抱く自分の人間性のほうが悪いのではないかと、今度は自分を責めるようになってみたりと、まさに出口のないストレスの渦に巻き込まれることにも発展します。

仮に人に打ち明けても、理解してもらえれば幸いですが、下手をすると「それしき」の事にガマンができないこちらの人格や良識、度量の無さ、ひいては道義性まで問われかねませんから、それを恐れてひとり抱え込んでしまう人も少なくないだろうと思います。

「ウマが合わない」とは、つまり一般論では解決できない極めて不幸な関係のことだろうと思います。さらには、こちらの心中を悟られてはいけないと精神的にもかなり無理をするので、いよいよ疲労やストレスは積み重なり、ついには相手の存在そのものが疎ましくなってしまいます。
その人がいる場所には行きたくないし、用があっても、メールや電話をするのも億劫になります。

マロニエ君は決して八方美人ではありませんが、わりに老若男女を問わず広くお付き合いのできるほうだと勝手に自惚れていますが、稀にこういう相手と出会ってしまうと、もうどうにもなりません。

残念なことに、世の中には必ずそういう相手が少しはいるもので、ときどき不慮の事故のようにヒョッコリ出会ってしまうということだろうと思います。
そういう相手とはできるだけ接触を控える以外に、有効な手立てはないようです。

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