パリの野次馬1

新田美保さんというピアノを弾く女性が書いたエッセイ『パリを弾く』というごくごく軽い本を読みましたが、彼女はカラッとした性格である上に、パリの水で顔を洗っただけのことはあってセンスがあり、くわえてなかなか筆の立つ人ときているので、とてもおもしろく読み終えることができました。

この人は、エリザベト音大を卒業後、パリに渡りエコールノルマルの名教授ジェルメーヌ・ムニエのクラスで研鑽を積み、卒業後して後もこの地が気に入って、ずっと留まって生活をしている女性のようです。

本にはピアノや音楽のことはそれほど語られず、もっぱらフランスでの生活の情景がさまざまに切り取られ、おもしろ可笑しく描かれていますが、社会そのものが硬直した原則論やキレイゴトにまみれた、なにかにつけ息苦しい日本よりは、よほど自然体で共感できる点も多く、なんだか不思議な開放感に満たされたのが読了後の率直な印象でした。

パリっ子は我々が思っている以上に率直で自由な感覚で人生を生きているという、いうなれば人間的には至極真っ当なことを感じ、考え、発言し、あれこれ実行しているだけなのでしょうが、その点が非常に羨ましく思えましたし、時代の空気に気を遣うばかりで、どこか自己喪失してしまいそうな自分を少し取り戻すことができたようにも思いました。

それほど現代の日本は、建前に縛られ、人情に薄く、空虚な原則論ばかりが大手を振って歩いている、ある種全体主義的な管理社会という気がします。善人願望、利益優先、自己中、本音はタブー、喜怒哀楽の否定、情報の奴隷、文化意識・情感・冒険心の喪失などなど、日本の空気をいちいち挙げていたらキリがありません。

先日も日本在住のアメリカ人と会う機会がありましたが、なんでもないことが非常にまともで、知性と感情のバランスが普通で、やはり日本人は今とてもおかしなことになっていると感じたばかりです。

つい話が逸れました。
『パリを弾く』に戻ると、全編にわたりおかしなところは多々ありましたが、もっとも笑えて、かつ共感できたことのひとつ。新田さんがボーイフレンドと喧嘩をしてしまったので、友人を誘って愚痴りながら食事をしていたときのことです。
この友人というのがまた、歳もぜんぜん違って60歳にもなる、ある有名ブランドの社長なのだそうですが、そもそも日本では世代も性別も、ましてや国籍も違う者同士が、なにげなく食事に誘ったり誘われたりするなんてことは、まず考えられません。

直接の友人と会ったり電話でしゃべるより、スマホで見知らぬ人とコミュニケーションを取る方が楽で楽しかったりするのだそうですし、聞くところによるとちょっとした自分の考えや好みを言うのさえ、もし相手が逆だったときのことを考えて口にしないよう習慣づけているそうで、これは気遣いでも思いやりでもなく、それで自分が嫌われることを恐れての防御策なのですから、いやはや保身術も病的な領域に突入していると思います。あるテレビの報告に拠れば、現代の日本人の思考力や言葉の能力は、昔に較べて確実に退化しているのだそうで、ゾッとします。

ああ、またまた話が逸れました。
その新田さんが、その60歳の友人とそのレストランで食事中、突如、向こうのテーブルで突然激しい争いが起こったとか。
長くなったので、続きは次回。

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