恐怖症

仕事上の必要が生じて、人前で挨拶らしきことをしなくてはいけないハメになり、大いに心を悩ませています。

おそらく、99%の人には理解できないことだろうと思いますが、マロニエ君は人と話をするのは人一倍好きなくせに、多数の人を前にして、自分が一方的に喋るシチュエーション、つまりスピーチとか、なにかの挨拶、自己紹介などが病的なほど苦手な珍人間なのです。

過日、趣味のクラブのことを書きましたが、この手のクラブにも新しく入会した場合はもちろんのこと、新人登場の折などにもそれをチャンスに一斉に自己紹介というのがありますが、これになると、直前までそれこそ先頭を切ってベチャクチャ喋っていた自分が、突然押し黙って硬直してしまいます。

たぶん多くの視線が自分へ注視されることが、最も耐え難い原因かもしれませんが、いまだにはっきりしたことは自分でも分かりません。こういうことが平気な人を見ると、もうそれだけで羨ましくもあるし、自分とはまったく異なる人種を見るような、なんとも説明のつけがたい妙な気分になってしまいます。
それどころか、普段はかなりもの静かで控え目な女性などでも、ひとたび自己紹介の場ともなると、すっくと立ち上がり、自分のことを尤もらしく、ごく普通に話すことができる様子などを見るにつけ、まったく自分という人間が情けないというか嫌になってしまいます。

ずいぶん昔、ある節目にあたる演奏発表会があって、皆の演奏が終わってパーティとなり、先生を囲んで門下生がそれぞれ自己紹介という流れになりました。その場になってそれを知り、恐れをなしたあまり、まわりの二人の友人を誘って場外に逃げ出て、ついには外の庭(会場はホテルだった)を30分ほど散策して、自己紹介が終わった頃、ソロソロと息をひそめて会場に舞い戻ったものの、結局見つかって、3人共叱られた経験などもありました。

マロニエ君のこの癖はもはや仲間内では有名で、自己紹介タイムになるとこちらの様子をおもしろがり、首を伸ばして観察する輩までいる始末で、人からみればなんということはない普通のことかもしれませんが、マロニエ君にとっては、バンジージャンプさながらの、まさに寿命を縮めるような一大事なのです。

一度だけ、大勢の前で最も長くマイクを持ってしゃべったのは、忘れもしない6年ほど前、上海の最大の目抜き通りにある大きなギャラリーである日本人作家の個展があり、そのオープニングで挨拶をさせられたことがありましたが、その規模は趣味のクラブの自己紹介どころのさわぎではなく、まさに大勢の観衆の見守る中でのご挨拶となり、数日前から生きた心地がしませんでした。いよいよそのときがきた時はまさに刑場に曳かれていくような気分でふらふらと演台に登りました。
せめてもの救いは場所が中国なので、大半の相手は外国人であること、さらにはセンテンス毎に訳が付き、そのたびに呼吸を整えることができたことでした。

しかし、今回はそういう助け船もなく、もう考えただけで顔が真っ青になっていくようです。
なんでこんな性格に生まれついたのやら、いまさらそんなことを考えても始まりませんが、世の中にはどう知恵を絞ってみても代理では事が片付かないこともあるわけで、こんな文章を書いている間にも、憂鬱がかさんでどんどん血圧が低下していくようです。

なんとか回避する方法はないものかと、この期に及んでまだしつこく考えてしまう往生際の悪さです。

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