正しきお姉様

ひと月以上前のNHKのクラシック音楽館で放映されていたN響定期公演から、ヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリンで、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されたときの映像を見てみました。指揮はピーター・ウンジャン。

ムローヴァはロシア出身で、年齢も現在50代半ばと、演奏家として今最も脂ののりきった時期にある世界屈指のヴァイオリニストといって間違いないでしょう。
昔からマロニエ君は熱烈なファンというのではないものの、ときどきこの人のCDを買ったりして、「そこそこのお付き合い」をしてきたという自分勝手なイメージがあります。

その演奏は「誠実」のひと言に尽きるもので、バッハなどで最良の面を見せる反面、ドラマティックな曲ではともするとあまりに端正にすぎて、情感に揺さぶられてはみ出すようなところもなく、見事だけれどもどこか食い足り無さが残ったりすることもしばしばです。
ロシア出身のヴァイオリニストといえばオイストラフを筆頭に、コーガン、クレーメル、レーピン、ヴェンゲーロフなど、いずれもエネルギッシュかつ濃厚な演奏をする人達が主流ですが、そんな中でムローヴァは、突如あらわれたスッキリ味のオーガニック料理を出すお店のようで、それは彼女のルックスにさえ見て取ることができます。

長身痩躯の金髪女性が、スッとヴァイオリンを構えて、淡々と演奏を進めていく様はとてもロシア出身の演奏家というイメージではないし、とりたてて味わい深いというのもちょっと違うような、なにか独特の、それでいて非常にまともで信頼性の高い演奏に終始し、一箇所たりともおろそかにされることはないく、彼女の音楽に対する厳しい姿勢が窺われるのは見事というほかはありません。
耳を凝らして聴いていると、非常に深いところにあるものを汲み上げていることも伝わりますが、彼女は決してそれをこれみよがしに表現しようとはしないのです。

とりわけ最近では、ガット弦を用いて演奏するなど、古楽的な方向にも目を向けているようで、この人の美質は本来そちらにあるのかもしれません。
さて、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲は、終始一貫した、まったくぶれるところのない、いかにもムローヴァらしい快演ではあったものの、曲が曲なので、やはりそこにはマロニエ君個人としては、もうすこし大胆な表現性、陰翳感やえぐりの要素とか、エレガンスと毒々しさの対比などが欲しくなるところでした。

このショスタコーヴィチの演奏を聴いてまっ先に思い出したのは、もうずいぶん昔のことですが、小沢征爾指揮でムローヴァがソリストを努めたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をCDを買ったことがありましたが、マロニエ君もまだずいぶん若かったこともあり、そのあまりの端正な無印良品みたいな演奏には大いに落胆を覚えたことでした。

最近ではピアノのアンデルジェフスキと共演したブラームスのソナタ全3曲がありますが、こちらもやはりムローヴァらしいきちんと整理整頓された解釈と遺漏なき準備によって展開される良識的演奏で、この素晴らしい作品をじっくり耳を澄ませて集中して勉強するにはいいけれども、作品や演奏をストレートに楽しむにはちょっと違う気がするところもあり、やはりどこかもうひとつ聴く者を惹きつける何かがないという印象は変わりませんでした。
ソロでは個性全開のアンデルジェフスキも、このCDではムローヴァの解釈に敬意を表してか、至って常識的に節度を保って弾いているのが、お姉様に頭があがらない弟のようで微笑ましくもありました。

と、こんなことを書いているうちに、マロニエ君としたことが、ムローヴァのバッハの無伴奏パルティータとソナタのCDを買っていなかったことに気が付き、これぞ彼女の本領発揮だろうと想像しているだけに、はやいところなんとか入手しなくてはと思いますが、この「つい忘れさせる」というのがムローヴァらしいところなのかもしれません。

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