主治医繋がり

先日、あるピアニストの方とお話をする機会があって、たまたま話題が調律やピアノ管理に関することに及びました。
すべてではないものの、多くのピアニストは自分の弾くピアノという楽器に関して、本気で関心を寄せている人というのはそう多くはないので、この方は非常に珍しいと思い、ちょっと嬉しくなりました。

ピアノにまつわるさまざまな要素は、どれもが単独で語ることができないほどそれぞれの要素が互いに絡み合い、関係し合い、依存し合っている面が多く、これはいいはじめるとキリがなく、マロニエ君ごときでは言い尽くすこともできません。

例えばどんなに素晴らしい楽器でも、弾く人の音楽性や美意識しだいではその良さはほとんど出てきませんし、ピアノの置かれている場所の環境など管理状態が悪くてもダメ。調整などの技術面での技量や意識レベル。さらにはそれらが揃ったにしても、ピアノが鳴る部屋や音響という問題もあって、これらのことを考えはじめると、とても理想的な状態を作り出すなど、少なくとも通常は不可能に近いものがあると思われます。

しかし、そんな諸要素の中のどれか1つか2つでも持ち主がそこを理解して保守に努め、改善できるものは改善したりすると、それだけでも状況は大きく異なります。
その方はとある極めて優秀な技術者さんとの出会いによって、ピアノに対する接し方やスタンスに変化が起こり、ついには弾き方まで変わったとおっしゃるのですから、やはり技術者というものの存在の大きさを感じずにはいられません。
とりわけ調律はその要素がきわめて大きい部分を占め、ピアノの機械的な技術面でも調律ほどピンキリの世界もないというのがマロニエ君のこれまでの経験から得た結論です。

整調、整音、調律はどれが欠けてもいけないものですが、とりわけ調律は技術者側におけるセンスと才能が最も顕著に発揮される領域で、これはいうなれば技術領域から芸術領域に移行していく次元だといっていいと思います。

整調整音が上手くいっているとしても、調律こそが最終的に楽器に魂を吹き込む作業といいますか、極論すれば、それによって音の出る機械から真の楽器に変貌できるかどうかの分かれ目になると思うのですが、この点がなかなか理解が得られないところのようです。
一般的に調律といえば、ただ2時間弱ぐらいピッチを合わせて、ついでに気がついたところをちょこちょこっとサービス調整してハイ終わり。代金をもらって「ありがとうございました」と言って去っていくというのが大多数でしょうし、ピアノオーナーのほうも調律とはそんなものと思っている人のほうが圧倒的に多いようです。さらには、ピアノの先生や演奏の専門家でさえ、ピアノだけはほとんど素人並の認識しかない場合が決して珍しくないのです。

ですから、その方は大変珍しい方だなあとマロニエ君は思ったわけです。
同時にコンサートなどで方々に行かれる先にあるピアノの管理の悪さには、ずいぶんと辟易されているようで、この点はほとんど諦めムードでした。
同じ福岡の方だったので、そんな素晴らしいピアノ技術者の方が、やはりひそかにいらっしゃるんだなあと内心思いつつ、敢えてお名前は聞かないで話をしていたら、さりげなく向こうのほうからその方の名前を云われたのですが、なんと我が家の主治医のおひとりだったのにはびっくり仰天。
やっぱり世間は狭いというべきでしょうか。

この技術者の方は、別にスーパードクターのように威張っているわけではないけれど、非常に強いこだわりと自我をおもちの方で、ある意味気難しく、頼まれればどこにでもヒョイヒョイ行かれる方ではないので、マロニエ君としても我が家に来ていただけるのは幸いとしても、軽々しく人にご紹介はできないと思っていました。
そういうこともあって、数少ないその方繋がりのピアニストと知り合うことができたことは、不思議なご縁と嬉しさを感じたところです。

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