ピアノフェスタ2

今回のピアノフェスタは、知人からお誘いを受けたことがきっかけで赴いたものでしたが、いささかの訳があって他のお客さんの少ない時間帯に見せていただくことができました。

輸入ピアノのうちの何台かは触る程度のことはしてみましたが、先に書いたようにどれもオーバーホールの出来たてホヤホヤみたいな状態で、本来の音や性能水準に到達しているとはとても思えず、よってあまり積極的に興味が持てなかったことと、やはりどうしても弾いてみたいピアノの人気というのは有名ブランドに人が集中してしまうため、そういう状況ではマロニエ君はいつも気分的に引いてしまうところがあるのです。

多くの外国製高級ピアノの前はこのときの為にかどうかはしりませんが、楽譜まで持参して、たいそう熱心に弾かれている人達があり、そういう光景を見ると、いっぺんに気分が萎えてしまい、それが終わるチャンスをうかがって、椅子が空くと同時にすっ飛んでいくような「がんばり」がどうしてもわかないのです。

いっぽうで、国産グランドのエリアはてんでがら空きで、こちらのほうが静かでもあるし、なんとなくそちらをブラブラしていると、なんと今年は2台の中古ディアパソンが持ち込まれていることに一驚しました。
しかも、そのうちの一台はディアパソンの中でも稀少なDR211で、マロニエ君が今年購入した210Eとまったく同サイズ(奥行き211cm)のピアノですから興味津々でした。これは生産されたオオハシモデルの最後の時代のピアノで、基本的な設計は210Eとほとんど同じだと考えられます。

こちらは誰もいないのを幸いに183と211に触ってみましたが、ピアノとしての状態は決して悪くないと思われましたが、意外にもディアパソンらしさのない軽くて細い音がして、あまりグッと来るものはありませんでした。
とりわけマロニエ君の関心の中心は211にあるのはいうまでもなく、こちらをより多く触らせてもらいましたが、同じサイズと構造のモデルでも昔のものとは何かが決定的に違っているような印象を持ちました。それが何であるかはわかりませんが、よりカワイ的と云ったらいいのか、どちらかというと淡泊で深みのない音になっており、ディアパソン特有のあのズッシリした鳴りとパワー、楽器としての奥行きみたいなものはあまり感じられなかったのは意外でした。

アクションもこの時代にはヘルツ式になっているため、現代的ではあり、バリバリ弾かれる方などはこちらを好む方も多いだろうと思いますが、しっとりとしたセンシティヴなタッチや、楽器との対話を楽しみたいなら、マロニエ君はシュワンダーの方が好ましいとあらためて思いました。
ただし、ヘルツになってもキーが重いのはあいかわらずなのは不思議でした。

音の特徴やタッチに意識が集中しすぎて、何年式であるかを確認するのをうっかり忘れてしまいましたが、やはり、多くのピアノが辿らされた運命と同じく、製造年が新しくなるだけ木の質は落ちているという印象は拭い切れませんでした。
マロニエ君の購入したおおよそ35年前の210Eは個人売買での購入で、あまり使われている印象はなかったものの、ピアノの置かれていた環境や状態はお世辞にも褒められたものではありませんでしたが、それでも基本的には今と変わらない深みと味わいは持っていましたから、ピアノが根底のところにもっている基本は、いかなる環境にあろうとも意外に変わらないのだと思いました。

なんだか、お店の商品と自分のピアノを比較しているような感じの文章になっているかもしれませんが、努々そういう意図ではなく、同じメーカーの同じピアノであっても「時代」によって予想以上の違いがあるということが再確認できたということです。

そういう意味では、たとえばヤマハやカワイの中古ピアノを買われる方がおられるとして、サイズの違いばかりにこだわらず、同サイズでも年式による音の本質的な違いにも留意すべきではと思います。

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