自分の地元を自慢するわけでも卑下するわけでもないのですが、福岡市という土地は住み暮らすにはとても総合点の高い、好ましい街であるという点では、今も昔もその認識に変わりはないのですが、こと西洋音楽という一面に関して云えば、残念ながらとくに自慢できるような街だとは思っていません。
東京、大阪を別にすれば、他の地方都市がどういう事情かは知りませんが、なんとなくこの分野になると福岡は、マロニエ君は自分が生まれ育った街でありながら、もうひとつ胸が張れないものがあります。
それは例えば音楽ホールについても云えることで、ただ単にホールと呼ばれるものは、福岡市およびその周辺エリアまで入れると数え切れないほどたくさんあって、もったいないようなお定まりのピアノも惜しげもなく備えられていますが、どれもが中途半端。いわゆる街の文化を象徴するような真の意味での音楽ホールがなく、主だったコンサートはいつも決まりきった(しかも甚だ不本意な)会場しかありません。
とりわけ音楽ホールの条件といえば、なによりもその音響の美しさと、座席数、そして存在そのものが醸し出す品格だと思います。
その点では、敢えて例外といえるかどうかはともかく、福岡銀行の本店大ホールは市の中心部である天神のど真ん中にある銀行ビルの地下にあるのですが、なにしろその音響は突出して素晴らしく、座席数も800弱でジャストサイズ。とくにピアノリサイタルにはこれ以上ないのでは?と思えるほどの理想的な音響をもっています。
この建物は1975年に建築家・黒川記章の設計によって作られ、さらにそのホールは日本初の音響を第一に考えられた音楽ホールという事で、当時は全国的にも音楽関係者の間で大いに話題をさらったものでした。
当時の蟻川さんという頭取が非常に文化意識が高く、氏の意向によってこのようなホールが作られたのでしたが、それも時代であり、今はいくら頭取が文化が好きだからといっても本店の設計にそういう贅沢施設を盛り込むなどはなかなかできないでしょう。
そんな福銀ホールですが、一昨日の新聞記事によれば、NPO法人福岡建築ファウンデーションの主催による「福岡市現代建築見学ツアー」というものが開催されて、その中にこのホールが含まれていたとありましたが、それによれば内部はなんとすべて松材で作られているということを初めて知りました。
松材の内装のお陰で美しくやわらかい響きがあるのだということで、あれは「松のホール」だったのかと非常に驚きつつ、その音の素晴らしさの秘密には思わず唸ってしまいました。
松材といえばいわゆるスプルースで、いろんな種類はあるでしょうけれども、弦楽器やピアノなどの響板にも使う木材です。それをステージを含む床以外の広大な壁や天井すべてをこの稀少素材で埋め尽くすことで作り上げたのですから大胆としかいいようがなく、資源保護やコスト重視の現代ではとても不可能な、あの時代だからこそできた贅沢なものだったことがわかりました。
ちなみに現代では、全面木材の内装は安全面からも不可の由。
そんな素晴らしい福銀ホールですが、銀行のホールという性格上、管理も官僚的で、利用がしにくい(以前はホールまで土日は無条件に休みだった)などいろいろな制約があり、利用者がそれほど積極的に使いたいものではないという点は実に惜しいところです。
良くも悪しくも時代というべきでしょうが、駐車場は一切なく、また何度か書きましたが、座席のある地下3〜4階まで自分の足だけで(障害者は別)降りて行かなくてはならず、終演後はその逆で、高齢者などは狭い通路階段を、揉み合うようにしながらビルの4階相当まで階段を登る苦行を強いられ、体力的に厳しいものであるのも事実です。
かの黒川記章の作品といえども、構造の点でもいささかおかしなところがあり、地下2階に相当するホールロビーが客席の最上階部分に作られ、通常のホールのように両サイドからの出入口というものがないため、すべてのお客さんは必ず最上部に位置する左右2箇所のドアから出入りして、薄暗いホールの中を延々と不規則な階段を降りて行かなくてはなりません。
一定以上の規模を有するホールというものは、公共性という一面をもつものなので、いくらそれ自体が素晴らしくても、利用者の快適性を軽視した作りであれば、その魅力を100%活かすことは困難ということの典型のような、いかにも残念なホールなのです。
銀行のようにお金があるところこそ、この宝を真の宝として活かすよう、利用者の側に立った工夫と改装をして、長く福岡の地に残して欲しいものです。