興味がない!

過日読了した本、高木裕著『今のピアノでショパンは弾けない』(日本経済新聞出版社)の中に次のような記述があり、仰天させられました。

「有名私立音大のピアノ科の教授から聞いた話です。教え子に(略)上手いピアニストのコンサートに行きなさいと言っても行かない。どうも興味がないようだ。仕方なく、これはというコンサートに無理やり連れて行っても、そのピアニストのどこが上手いのかわからずに、周りが拍手するのでつられて自分も拍手する。上手いピアニストのここが上手いとわかったら、うちの音大では5本の指に入るんですよ…と嘆いていました。」

???
まさかウソではないのでしょうから、やっぱり事実なのでしょうが、まったく開いた口がふさがらないとはこのことで、ここまで今の若い人は感じることも情熱を燃やすこともなくなってしまったのかと思います。
そんなに上手い人の演奏にも興味がないほどどうでもいいのだったら、その学生は、そもそもなんのためにピアノなんてやって、尤もらしく音大にまで行っているのかと思います。しかもこれは特殊な一人の話ではなしに、全体がそうだと言っているわけで、そんな人間がいくら練習して、難曲をマスターして、留学してコンクールで入賞しようとも、所詮は聴く者の心を打つ演奏なんてできるわけがないでしょう。

昔は、いかなるジャンルでも、芸術に携わる人間が集まれば、いろいろな作品などに対する批評や論争で議論沸騰し、さらに昔の血気盛んな芸術家の卵たちは見解の相違から殴り合いになることさえあるくらい真剣だったと聞きます。お互いの批評精神が審美眼として厳しく問われ、論争の絶える間はなかったのは、芸術家およびその予備軍は常に鋭敏な感性が問われたからでしょう。
そしてともかくも純粋だったのですね。

少なくとも自分達のやっていることの、最高峰に属する一流といわれる人達の仕事に興味がないなんてことは、逆立ちしてもマロニエ君には理解できません。

これはサッカー選手を目指して学生チームで奮闘しながら、ワールドカップにはまったく興味がないようなもので、そんなことってあるでしょうか?
あまたのアスリートが血のにじむような努力と練習を重ねながら、オリンピックには無関心なんてことがあるでしょうか?

そういうことが、いやしくも音楽の道を志し、幼少時から専門教育を受け、来るべき時には海外留学したり、コンクールにでも出ようという人達の間で普通の感性だというのなら、その心の裡はまったく謎でしかありません。
自分はそれだけのことをしてきた、あるいはできるんだという単なるアクセサリーなのでしょうか。あるいは卒業したら、その経歴をひっさげて芸能界にでもデビューするのでしょうか。いずれにしろ、そんな人達に音楽の世界を汚して欲しくないと思いました。

ピアノを弾くことを特に高尚なことだなどとは思いませんが、少なくとも芸術に対する畏敬の念とか、より素晴らしい音楽表現を目指して音楽に接する情熱がなく、醒めていることが当たり前のようになっているのはいかがなものかと思います。

高尚とはいわずとも、少なくとも音楽の持つ美と毒とその魔力に魅せられて、どうにも始末のつけようがないような人にこそ、芸術家はふさわしいものであって、ただ単にコンクール歴を重ねることが目的のような人は、もうそんなまだるっこしい事はしないで、せっせと勉学に励んで一流大学にでも行き、しかるべき職業に就くほうがよほどせいせいするというものです。

興味がない!」への1件のフィードバック

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    いつも興味深く拝見しています。

    私の友人である某音大の教授(ヴァイオリン)が同じことを嘆いていました。
    「学生が一流の演奏に全く興味を示さずに困っている。無理矢理連れて行かないとコンサートやリサイタルに行かない。単位に関係ないとCDも買わない。」
    演奏家を目指すというのではなく、勉強嫌いでなんとなく音大に進学した学生も多いようです。
    文学部の学生の大半が文学書を読んでいないのと同じかもしれません。

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