不景気の影

天神に出たついでにヤマハを覗いてみましたが、チラシの棚を見ると、どうもこのところのコンサートの減少傾向には歯止めがかからないようです。
以前なら溢れんばかりにひしめき合っていた各種コンサートのチラシの大群もめっきりその量が減っていますし、チラシの中には講演だのコンクールだのに関するものもかなりあって、純然たるコンサートは数えるほどしかありません。
数年前を思い返すと、ちょっと想像もできなかったくらいお寒い状況のようですね。
時折なにか面白そうなコンサートはないかと、ネットで主要ホールのイベント案内などみても、ほとんどそれらしきものは見当たりませんし、なんであれ催しがひと月に1~2度しかない(赤字の垂れ流しと思われる)ホールがゴロゴロしています。

ちょっと前までは、プロとはとても呼べないような人が、次から次に「コンサート」という名のくだらない自己満足露出大会を日常的に企てて顰蹙をかっていたものです。文化を錦の御旗にしたこのような迷惑行為には大反対のマロニエ君ですから、これがもし良い方向にみんなの意識が正されているのならある意味では喜ばしいことですが、どうも、そうとばかりも思えません。

やはり昨今の不景気がコンサートの世界にも暗い影を落としているということのような気もします。
景気が良い時でもこの手の自主コンサートは赤字は当たり前で、いかに赤字額を小さくするかが問題というぐらいの世界でしたから、今では友人知人でお付き合いしてくれる人も見込めないということなのかもしれません。

もちろん中には、相変わらず雑草のように逞しい人もわずかに見かけはするものの、それでも曲も写真も昔の中古品の寄せ集めばかりのようで、本来あるべき新しい挑戦の姿は微塵もなく、なんとも哀れを誘います。
最近悟ったことは、止めるということは始めることより何倍もの勇気と胆力と見識が必要だということ。
止める勇気のない人は、一見我慢強く粘り強いように見えても、実際はさにあらずで非常にお気の毒だと思います。

離婚は結婚の10倍のエネルギーが要ると言われるがごとく、たしかに物事すべからくそうなんでしょうね。
婚姻関係でも、コンサートでも、よしんば趣味の活動でも、進退が大変なのは人間の欲望というものと切り離すことができないからなんだと思います。
それでもさっぱりした性分の人は比較的きれいに処理できますが、粘着質の人は、分厚い脂身のような欲の塊を我が手で切り捨てることができないから、そこが大変なんだと思います。

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