長らく肩の故障で演奏休業状態に追い込まれていたヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフが数年ぶりに復活し、日本でもヴェンゲーロフ・フェスティバル2013と銘打つ一連の公演をやったようです。
その中からサントリーでのリサイタルの様子がNHKのクラシック倶楽部で放映されましたが、ずいぶんと恰幅のいいおじさんにはなってはいたものの、基本的な彼の特徴は昔とはなにも変わっていませんでした。たしかに透明感の増した音やディテールの処理などは、より大人のそれになったとは思いますが、音楽的な癖や音の言葉遣いみたいなものは、良くも悪くも以前のままのヴェンゲーロフのそれでした。
曲目はヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番、フランクのヴァイオリンソナタ、アンコールにフォーレの夢のあとに&ブラームスのハンガリー舞曲というもの。
ヴェンゲーロフは1980年代にソ連が輩出した最後のスター演奏家のひとりといえるのかもしれません。
ブーニンが1985年のショパンコンクールに優勝して、日本ではロック歌手並みの大フィーバーが起こり、ついには日本武道館でのピアノリサイタルという前代未聞の社会現象まで引き起こしましたが、その一年後に天才の真打ちとして来日したキーシン、さらにヴァイオリンではヴァディム・レーピンとこのマキシム・ヴェンゲーロフがそれに続きました。
このヴァイオリンの二人は年齢こそ僅かに違うものの、同じロシアのノボシビルスクという極東よりの町から現れた天才少年で、先生もザハール・ブロンという同じ人についていました。
何から何まで天才肌で、どこか悪魔的な凄味さえ漂わせるレーピンに対して、ヴェンゲーロフはあくまでも清純で叙情的、まるで悪魔と天使のような対比だったことを思い出します。
マロニエ君は昔からヴェンゲーロフのことは決して嫌いではありませんでしたが、だからといって積極的に彼の演奏を求めて止まないというほどのものはなく、魔性の演奏で惹きつけられるレーピンとは、ここがいつも決定的な差でした。
そして今回38歳になったというヴェンゲーロフの演奏に接してみて、またしても同じ感想をもつにいたって、天才というのは幾つになってもほとんど変わらないということを実感させられました。
ヴェンゲーロフの演奏には間違いなくソリストにふさわしい強い存在感と華があり、テクニック、演奏家としての器ともにあらゆるものを兼ね備えているとは思うのですが、ではもうひとつ「この人」だと思わせられる個性はなにかというと、そこが稀薄なように思います。画竜点睛を欠くとはこういうことをいうのでしょうか。
その音は力強くブリリアント、しかも情感に満ちていて美しいし、音楽的にもとくに異論の余地があるようなものではないけれど、あと一滴の毒やしなやかさ、陰翳の妙、さらには細部へのいま一歩の丁寧さがどうしても欲しくなります。どの曲を聴いても仕上がりに曖昧さが残り、ひとりの演奏家の音楽としてはやや雑味があって仕上げが不足しているように思えてなりません。
ピアノはヴァグ・パピアンというヴェンゲーロフとは親交の深い男性ピアニストでしたが、この人の特殊な演奏姿勢は一見の価値ありでした。これ以下はないというほどの低い椅子に腰掛け、さらには背中を魔法使いの老婆のように丸めて、その手はほとんど鍵盤にぶら下がらんばかり。さらには顔を鍵盤すれすれぐらいまで近づけるので、どうかすると鼻や顎がキーに触れているんじゃないかと思えるほどで、まるで棟方志功の鬼気迫る版画制作の姿を思い出させられました。
でもとても音楽的な方でした。