優雅さの裏で

有名音楽雑誌のモーストリー・クラシックの9月号は『スタインウェイとピアノの名器』と銘打った、世界の一流ピアノに焦点を当てた巻頭特集が組まれていました。

以前にも同誌では『ピアノの王者スタインウェイ』という特集があり、内容的にはその焼き直しでは?という気もしましたが、それでもこういう表紙を見るとつい買わずにはいられません。

今回はスタインウェイオンリーではないために、それ以外のピアノについてもいろいろと触れられていますが、そのなかでもベーゼンドルファーに関する記事はマロニエ君にとって、非常に興味深いものでした。

ベーゼンドルファーというと、ウィーンの名器であることはもちろん、貴族的で、優雅な音色と佇まいの別格的なピアノであり、厳選された材料を手間のかかる伝統工法で制作される最高品質の楽器であること、さらにはどことなく近寄りがたい貴族御用達の工芸品でもあるような、とにかく何かにつけて特別で、孤高のピアノというイメージがありました。

製造番号も通常のシリアルナンバーではなく、作曲家の作品番号と同じくオーパス番号であらわされるなど、通常のピアノという概念を超えた、それ自体がまるで芸術品のようでもあり、ある人など「そもそもベーゼンドルファーなんて、庶民が買うピアノじゃないですよ!」とまで言わしめるような、そんなイメージを一新に纏っているピアノであり会社だったような気がします。

量産ピアノとはかけ離れた手の込んだ作り、少ない生産台数などは、およそガツガツしたビジネスとは無縁で、とりわけ昔は王侯貴族をはじめ裕福な一握りの顧客だけを相手に、それにふさわしい最高級ピアノを悠々と提供してきたのだろうと思うのはきっとマロニエ君だけではないはずです。

ところが、この特集にあるベーゼンドルファーの小史によれば、創始者のイグナツ・ベーゼンドルファーは「才長けた経営者であり商人でもあった」のだそうで、経営拡大のために「まず狙いを定めた」のがあのリストで、彼の強靱な奏法に耐えるピアノがなかなか存在しないことに目をつけ、それにぴったりのピアノを製作して進呈するという思い切ったやり方で、当時のピアノのスーパースターであるリストからベーゼンドルファーを贔屓にしてもらうという手段に出るのだそうです。
それだけに留まらず(ベーゼンドルファーが品質の良いピアノであったことはあるにせよ)、販路拡大をめざして東欧諸国や北イタリアを含む広大な地域を支配していたオーストリア帝国の各地、さらにドイツ、フランス、イギリスにまで積極的なセールスを展開したとあります。

また、リストのような名だたるピアニストが演奏旅行をおこなう際、会場のピアノの銘柄や質がまちまちだったことにも目をつけて、ヨーロッパの主要演奏会場にベーゼンドルファーが置かれるように計らい、こういうシステムの先駆者でもあったようで、とにかくきわめて野心的な商売人であり、それを可能にする才気の持ち主だったというのは驚きでした。

また、イグナツの息子のルードヴィヒは父の会社を受け継ぎ、さらなる工場の大規模化を敢行。その快進撃は止まらないようです。あの有名なウィーンの学友協会の新会館がオープンして、そこへ引っ越した学友協会の音楽院へもさっそくベーゼンドルファーを寄贈、そして優秀な学生にもベーゼンドルファーをプレゼント、さらに新開館のホールにもベーゼンドルファーを置いてもらう、さらにさらにそこを会場としてベーゼンドルファー・国際ピアノコンクールを創設という、逞しい商魂と抜け目の無さで、まるで現代のサクセスストーリーを聞いているようでした。
まだまだあります。
ウィーンの中心街にあった名門貴族のリヒテンシュタイン家の宮殿を間借りしてショールームをオープン、その後はその宮殿の一部を改造してベーゼンドルファー・ザール(ホール)を建設、まだありますがもうここらでやめておきましょう。

少なくとも、これが設立から19世紀後半までのベーゼンドルファー社がやってきた経営であり、それは現在のブランドイメージとはまるでかけ離れたものだったことを知って驚かされました。
もちろんビジネスである以上それを悪いというのではありませんが、あまりにも抱いていたイメージとは違っていて、たおやかな貴婦人だとばかり思っていた人が、実は手段を選ばぬ猛烈ビジネスのやり手社長だったと知らされたみたいで、その過去の事実にちょっとばかりびっくりしたというわけです。

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