NHKのクラシック音楽館で放送されたN響定期公演から、エマニュエル・パユをソリストに、モーツァルトのフルート協奏曲第2番、フォッブスの「モーツァルトの“魔笛”による幻想曲」を聴きました。
指揮はアンドルー・マンゼ。
のっけからこう云うのもなんですが、マロニエ君はエマニュエル・パユは昔からあまり興味がなく、ほとんど聴いたことがありませんでした。というのも、ずいぶん前に1枚買ったCDがまるで好みではなかったため、この人の演奏にはすっかり関心をなくしてしまったのです。
ニコレやランパルの時代も終わり、ゴールウェイも歳を取って、現在ではパユがそのルックスも手伝ってかフルート界の貴公子などといわれて、事実上フルーティストの中では一番星のごとく君臨しているようです。
その美男子もすっかり歳を重ねて壮年の演奏家になっていましたから、さてその演奏はいかにと思いましたが、結果は芳しいものではなく、少なくともマロニエ君にはその魅力がどこにあるのか、一向にわからないものでした。
まず端的にいって、これという説得力もないまま、むやみにモーツァルトを崩して好き勝手に演奏するという印象で、もうそれだけで好感がもてません。聴く側が何らかの共感ができないようなデフォルメをしても、それは作品本来の姿が損なわれるだけで、この人がどういう演奏をしたいのかという表現性がまるきり感じられないだけで、だったらもっと普通にきちんと吹いてくれる人のほうがどれだけ音楽を楽しめるかわかりません。
不思議だったのは、これほどのトップレベルにランキングされる演奏家にしては、演奏には不安定さが残り、しかも全体に音が痩せていて温かみやふくよかさがないし、なにより一流演奏家がまずは放出する安心感も感じられません。それどころか、ところどころでリズムは外れ、フレージングは崩れ、音にならない音が頻発、楽曲の輪郭がなさすぎたと思います。
一番の不満は、モーツァルトの優美な旋律や展開の妙、活気とか、その奥にわだかまる悲しみとか、つまり彼の天才がまったく聞こえてこないという点で、その場その場を雑で気ままに吹いているようにしか思えませんでした。
基本的な音符が大事にされない演奏というのは好きではない上に、わけてもそれがモーツァルトともなれば、いやが上にも欲求不満が募るばかりでした。そのくせカデンツァになると意味ありげに間を取ったり突然テンポをあげてみせたりと、自己顕示欲はなかなか強いことも感じます。
またパユほどではないにしても、アンドルー・マンゼの指揮もなんだかパッとしない演奏で、冒頭にはフィガロの序曲をやっていましたが、おもしろくない演奏でした。
指揮者の責任もありますが、そもそもN響じたいが、マロニエ君にいわせるとモーツァルトとの相性が悪く、この官僚的オーケストラとは根本的に相容れないものがあるような気がします。モーツァルトのあの確固としているのに儚く、典雅なのに人間臭い作品は、もっと個々の演奏者が喜怒哀楽をつぎ込んで演奏して欲しいのに、いつもながらだれもが冷めたような表情で、ただ職業的に演奏する姿は、どうにかならないものかと思います。
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自分もパユ、何故か好きになれず、あれこれCDを聴いていたところ、なんとなく、「音楽を表現するより、自分を表現する方が前面に出ている」からかなあと感じました。
似たような理由で、ほとんどの日本人女性フルーティストの演奏も苦手です。