洗剤とお米

連休のある日の午後のこと、自宅のインターホンが鳴ったので出てみると、新聞販売店の人が「ご挨拶に伺いました!」といって表に立っていました。

実は、つい二ヶ月前までここの新聞をとっていたのですが、どうしても別の新聞を購読したくなり、契約期間終了までの数ヶ月間を辛抱して、ようやく切り替えたところでした。
まともに他社の新聞にするからなどといっても、とてもじゃありませんがおいそれと引き下がってくれるような相手ではないことは、この新聞社のこれまでの猛烈なつなぎ止め工作のすごさを知っていたので、作戦を変えて「新聞はあとの処分も大変で、もうとらないことにしたので」ということで、どうにか納得させて終わりにしたという経緯があったのです。

ところがこの日は販売店の店長が代わったという名目で、再度勧誘にやってきたようで、表に出てみるとこれまでとは違うおじさんが立っていました。こちらを見るなり、これ以上ないというほどの満月のような笑顔を浮かべながら、いきなりあれやこれやと喋りまくり、そのつど深々と頭を下げられるなど、内心これはまた大変なことになったなと思いました。

まさか別の新聞を購読しているとは逆立ちしてもいえないので、「また新聞をとるときは必ずおたくにしますので」というと、また笑顔と感謝でこわいぐらいに頭を何度も下げられ、こちらとしてはこんな応対は早く終わりにしたいと思っていたら、「実はいま、洗剤とお米を配っていますので、ちょっとお待ちください!」と言い出しました。

これをもらったら大変だと思い、「いやとんでもない、また新聞をとるときにでも」と云いますが、相手もさるもので耳を貸さず、「いえいえいえ、きょうはみなさんにずーっとお配りしていますから!どうぞどうぞ!」といって、さっさと車から大きな段ボールに1ダースぐらい入っていそうな洗剤とお米を上下に重ねて両手に抱えて、よいしょとばかりに持ってきます。

もらえないと何度も固辞しますが、向こうはなにがなんでも押し込んでいく気迫があるのを感じます。
そのうち、将来またとっていただくときのために、せめて名前と住所だけでいいので、ここにちょっと書いてもらっていいでしょうか?と、これも「すいません、すいません」と頭を下げながら頼んでくるので、やむを得ず住所と名前だけ手渡された伝票に記入しました。

すると、そこに何年何月から何年何月までという項目があり、そこをいつでもいいのでとりあえず書くだけ書いといてくださいと迫られました。たったいま名前と住所だけといったにもかかわらず!
ここで言いなりになっては向こうの思うつぼ!とこちらも意を決し、「またお願いするときは、必ずおたくに連絡しますけど、今ここで時期まで書くわけにはいかないです」ときっぱり云いますが、「いやいや、何年先でもいいんですよ、ただ書いてもらうだけでいいんです」というので、「そんな無責任なことは書けないです」とキッパリ言うと、その言葉にこちらの意志の固さを見たのか、わかりました、ではまたそのときは宜しくお願いしますといってついに引き下がりましたが、あれだけ「みなさんに配っている」と云って、まさに足元にまでもってきていたお米と洗剤その他を、サッと両手に持ち上げて持って帰っていきました。

べつにそんなものが欲しかったのではありませんよ。
むしろもらったが最後、また折々に攻勢をかけられるのは明白ですから、もらわないことがこちらの意志なのですが、その何年何月からという項目に何らかの数字を入れるかどうかが彼らにとって大きなポイントのようで、贈答品はそれへのご褒美であり、こちらへの貸しであり、今後もまたしばしば勧誘にくるための通行料のようなものだと思いました。

やっぱりわけもなくモノをくれるはずはないというのが当たり前という話ですが、世の中、上には上がいるもので、この激しい新聞勧誘合戦を逆手にとって各社からあれこれの品をもらうのが常態化し、「洗剤なんか自分で買ったことがない」と豪語する主婦などもいるというのですから、いやはや凄まじいですね。

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