古いヤマハ

前回書き切れませんでしたが、この広島の「平和の祈り」コンサートで使われたピアノは、思いもかけないヤマハの古いピアノでした。

かなり前の、たぶんCFIIIの初期型か何かで、コンサートグランドにもかかわらず足元はダブルキャスターでもなく、サイドのロゴマークもない時代のピアノで、フレームの穴の形状も丸ではない、この一時期のCFだけにみられる細長い開口部の大きなタイプのピアノでした。

さて、この古いCF、正確なことはネットで調べればわかるかもしれませんが(面倒臭いので調べてはいませんが)、たぶん30年ぐらい前のピアノではないかという気がします。
テレビ収録も入る、小曽根氏のような有名ピアニストが出演するようなコンサートで、こういう古い日本製ピアノが使われることは非常に珍しいことなので、その点はマロニエ君などは却っておもしろい気分になりました。

日本では、都市部の一定規模のホールと名の付くところには、たいていスタインウェイなどがあるものですが、わざわざこういうピアノを使うこと自体が、よほど特殊な事情があったのかと思います。このホールのホームページによると、ここには他にスタインウェイもカワイもあるようで、したがってなんらかの意図があって選ばれたヤマハということのようです。

その事情がなんであるかは別にして、この時代のヤマハは、何年か前にもリサイタルで1度聴いたことがありますが、マロニエ君は意外に嫌いではありません。それは、今どきのブリリアント系のキラキラ輝くような音ではなく、はるかに実直な音がして、ともかく真面目に作られたピアノという感じがあるからです。さらには後年のヤマハと違ってどんなフォルテッシモでも音が割れるなどの破綻が少なく、強靱な演奏にもしっかり耐え抜くだけの逞しさももっています。

こういうピアノのほうが、一面においては演奏や音楽に集中でき、聴いていて耳も疲れません。
だいいち主役は音楽であり演奏であるのに、あまりピアノ自体がキンキラして出しゃばるのは、タレントと勘違いした女子アナみたいで、むしろ目障り耳障りなることしばしばです。

この広島のピアノも、さすがに音の伸びがなかったり、古さ故の短所もあるにはありましたが、ではそれでこの日のコンサートの足をどこか引っぱったかというと、けっしてそんなことはなかったと思います。たしかに音の伸びはあったほうがいいに決まっています。でも、それよりも音の実質のほうがもっと大切だと思います。結局のところ、あまり表面的な華やかさではなく、ピアノはどっしりとピアノらしいのが一番だとあらためて感じました。

ブリリアント系のキラキラ音は、指の弱いアマチュアなどが家で弾くぶんにはいかにもきれいな音という感じで楽しめるかもしれませんが、プロのピアニストがコンサートの本番で弾くと、どうかするとうるさくもなるし、音符が不明瞭になったり表現力やパワーが逆に失われて、本来の演奏の妙が伝わらない危険もあるとマロニエ君は思っています。

ダブルキャスターでないコンサートグランドも久しぶりに見ましたが、やはり本来の姿はこうあるべきだと思いました。むかしスタインウェイが1980年代ぐらいから巨大なダブルキャスターを装着するようになったとき、そのあまりの無骨さ醜さに驚倒したものです。さらにはそれ以前のモデルまで次々に足を切断され、この下品なダブルキャスターが取りつけられて行くのには血の気が引いた覚えがありますが、慣れとは恐ろしいもので今ではすっかりこれがフルコンのデザインの一部に溶け込んでしまいましたね。
最近は、さらに転がり性能のよい、しかしビジュアル的にはもっと醜いキャスターがつけられていますが、あれはまだ目が慣れません。

コンサートグランドはその役目上、頻繁な移動が必要ですから、移動しやすい機能は致し方ないとしても、肝心の音に関しては、今どきの表面ばかり華やかな音造りは、もう少しどうにかならないものかと思います。

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